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角川『短歌』2023年5月号

時間とはあおぞら、ながれゆく雲か 窓はしずかなひかりの在り処(ど) 三枝浩樹 窓から青空とそこを流れて行く雲を見ている。雲の動きや青空の光度の差で時間の経過を知る。主体が一人でいるらしい静かさを感じる。一人だが孤独ではない。光とともにいるのだ。

コロナ禍のせゐではなくて幾つかは行きたくなかつたそれだけのこと 澤村斉美 義理で参加していたことも、コロナが怖くてと言えば、角を立てずに断ることができた。自分のしたいことが精選できた面もあるだろう。コロナ後はどうなるのか。また元に戻るのか。

倒れたら倒れたままの自転車のかごにたまつていく花びらよ 澤村斉美 自転車が倒れた人のようだ。倒れて自力で起き上がれない。かごに溜った花びらの量が過ぎた時間を可視化してくれる。心折れて倒れた人にも花びらが降りかかってくれればいいのに。

がんばつて倒れないでゐる人のやうチューリップその鬱の花冠を 澤村斉美 こちらは倒れないでがんばっている人。直立するチューリップとその人はお互いが喩になっている。花冠は花の部位名だが、チューリップの花は冠に似ている。和名の「鬱金香」も思い出される。

⑤特別座談会「孤独との向き合い方」森本平・久々湊盈子・田村広志・睦月都
睦月都〈孤独の質とか孤独の価値みたいなものがやっぱりどんどん変容しているとは思うんですよね。今ってむしろ、孤独になる機会というのを作らないと、時間を作らないと孤独が手に入らない状況の人もいると思います。情報が常に行き交っていてネットから逃れられないみたいなことも。(…)今の孤独っていうのは必ずあるはずだと私は思っていて。それの表出の仕方であるとか質ですね、どういった形に変化していくのかを短歌の中で追っていくというのは面白いというか、意味があるかなと思っていました。〉
 このあたり面白かった。ネット以前と以降では孤独の質が違うという捉え方。それが異なった時代の異なった孤独に向き合う人々に、短歌になることによって伝わるのかどうか。短歌にとって一つの試金石でもあるだろう。

⑥特別座談会
きみと同じ親からうまれたかったな冷えた駅舎にひかりがたまり 田村穂隆 
 この座談会の小タイトルの中で歌人の名前が挙がっているのは「山崎方代の孤独」「大西民子の短歌」「葛原妙子の短歌」「田村穂隆の短歌」「永井陽子の短歌」の5つ。このラインナップの中で田村穂隆の名前が挙がってるのすごくないですか??
祖父は父を父はわたしをわたしはわたしを殴って許されてきた 田村穂隆

⑦特別座談会
森本平〈今回、挙げた〈ひとみいい子でせうとふと言ひし時いい子とほめてやればよかりし〉は、母である五島美代子の側からすれば、自分が子どものことを実は理解できていなかったという嘆きなわけだけれど、子どもの側にとっても母親の言葉でというのは自分を理解してくれていなかった証になってしまっているわけです。母の強い愛情に基づく深い嘆きの事態が、そのまま両者の孤独なありようを示してしまっているという。〉
 この歌は、五島美代子の歌の中で一番好きな歌。褒めるぐらいいくらでも褒められたのに、もう遅い、という後悔。ひとみさんは優秀な子だったため、いい子なんて当たり前、もっともっと、と親である作者は求めてしまったのだろう。しかし、もう大学生にもなった子がそんな幼いことを言い出した時に、その寂しさに気づいて、いい子と言ってやれていれば、という手遅れな後悔に苦しんでいる。胸に刺さってくる歌だ。

⑧特別座談会
ひとみいい子でせうとふと言ひし時いい子とほめてやればよかりし 五島美代子(森本平選 孤独を感じる5首より)
 五島美代子の長女ひとみは戦後1948年東京大学に入学。美代子も東大の聴講生となった。1950年、ひとみが自死し、美代子は慟哭を多くの歌にした。

⑨特別座談会
睦月都〈社会の中に自分の名前がないし居場所もない、存在を無かったことにされている、それは単に孤独という言葉では言い尽くせない苦しさがあって。これはジェンダーなどの問題に限らず細かいレベルでは無数に起きていることなのかなと思いました。(…)そういった自分の孤独を、既存の言葉には当てはまらなくても、自分の言葉で短歌の器に入れ込むことができる(…)〉
 短歌と孤独、という座談会の主旨にぴたっと来る発言だった。孤独の質、孤独との向き合い方、それを短歌にすること、など示唆に富んだ座談会だった。

⑩川本千栄「若い」
 自己宣伝ですが、連作十二首掲載していただきました。トルストイの小説にヒントを得た連作です。お読みいただければ幸いです。

2023.5.9.~11. Twitterより編集再掲

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