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河野裕子『はやりを』 5
昨夜(きぞのよ)の汝がためらひは何故ぞそのおほき手が椅子の背に垂る 夕べあなたがためらったのはなぜだろうその時ためらっていた大きい手が今椅子の背に垂れている おそらく性的な場面を反芻している。今、椅子の背に手を垂れ、あなたは向こうを向いている。
みづからを値踏みしてゐる卑しさか啜る白桃の汁にも汚れ 内省の言葉と取った。自分には魅力があるのだろうか、と自分で自分の価値を値踏みしながら、その行為を卑しいと思う。桃を剥いて食べていると手が汁に汚れる。内面も同様に汚れていると感じている。
ひるがほの髪長をとめ雨匂ひバスの左手(ゆんで)に席を隔つる 自分の左手に席を隔てて座っている少女。「髪長をとめ」は長脛彦や石長比売に似て神話上の人物のような言い方だ。「ひるがほの」が枕詞にも見える。雨の日の湿ったバス内がふと異空間に変化する。
ふと濃ゆく息づくと見えしたまゆらを水辺の草より螢は飛びぬ 水辺の草にとまっていた螢。濃く深く息をしていると見えたその一瞬、主体の目の前を螢は飛び立った。螢が飛んだ、それだけのことを重い命のきらめきとして歌に留めている。螢も河野短歌のキーワード。
抱く手の両のこの手の重なりをわれとぞ思ふ君とも思ふ お互いの身体を抱いた時、相手の背中で各自の両手が重なる。その両手の重なりこそが自分だと思うし君だとも思う。溶けあうような一体感。晶子の「君も雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟」の音韻も遠くに響く。
2023.4.7. Twitterより編集再掲