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『現代短歌』2021年9月号(2)

夏服のかるさに腕をとほしつつはしやぎたり子にはじめての夏 浅野大輝 夏服は半袖だろうか。今まで着ていた服と袖の重さが違うので、子は少し驚き、はしゃぐ。大人には当たり前のことが子にはうれしい。初めての夏も秋も冬も春も人生には一回しか無い。その新鮮さを親も味わう。

忘れてと言つたけれども ざらめ雪 忘れられたらせつないものだ 逢坂みずき 忘れて、は別れ際の決まり文句。本当は忘れて欲しくなどないのだ。一字空けで挟まれる「ざらめ雪」は「雪」というより溶けやすさが強調され、二人の関係性を象徴する。結句の説明口調が却って寂しい。

とおってた茂みがあせびだったこと気づいて春休みの折り返し 牛尾今日子 今までずっと名前も知らずに通ってた茂みの植物があせびだと気づいた。その植物は知っていたし、あせびという名も知っていた。それが初めて結びついた。そんなちょっとした心動きの新鮮さが伝わる歌。「気づいて・春/休みの折り/返し」という句割れ句跨りが、「折り返し」感によく合っている。春休み後半は「あせびだなあ」と思いながらその茂みを通るのだろう。

楽しそうな人たちの歩くスピードがさっきから遅すぎてくるしい 中澤詩風 楽しそうな人たちが主体の進路を塞いでいる。追い抜きたいが道幅が狭い。あるいは同じグループの、後から来る人たちが遅いのか。他人の楽しそうな様子が楽しくない主体には苦しい。初句二句の重いリズム。

冷蔵庫は開けると光るそういえば言葉にしてない思いばかりだ 海老原愛 冷蔵庫は開けると勝手に光る。けれども思いは言葉にして伝えないと伝わらない。思いも冷蔵庫の光のように、勝手に光って相手の心に伝わればいいのに。

 同、海老原愛のエッセイより〈人生の局面にはこの(牧水の)歌を思い出し、さびしさに耐えてきた。もともとは牧水の言葉であるにも関わらず、私の言葉のように私の人生に寄り添ってくれるのは歌の持つ力であると思う。〉そういう一首って、歌を詠み読む人は必ず持っているよね、と思った。

鎖骨のくぼみにいつからか咲いたネモフィラがときどき揺れるみたいに痛む 川上まなみ 長い直喩だがそれが魅力。初句二句の八音八音がそれほど重くない。ネモフィラが揺れてもそんなにダメージは無さそうなので、かすかな痛みということか。記憶がふと蘇るイメージもある。

海が喃語をわすれたころにやってくるワイン・デカンタ・たのんだの・だれ 佐原キオ 誰かが頼んだデカンタがテーブルにやって来た。こんなにたくさん飲めない、誰が頼んだの?と面白がって口々に言う。下句の「ン音」や「タ行」の繰り返しが楽しい。飲み会の少し高揚した気分。

夏の畳のタオルケットの昼寝ってなんか 起きたら泣いてないすか? 平出奔 朝起きた時より昼寝から醒めた時の方が、今とここが分からなくなる感じが強い。自分が小学生ではなく、ここは生家でないのに気づく。あるいは起きる一瞬前にそれに気づいて泣いてしまうのかも知れない。

 「なんか」と「起きたら」の間が半角空いているように見えるのだが…。一字空きや二字空き、最近は三字空きも見かけるが、半角空きを見たのは初めてかも知れない。微妙に一瞬息を吸い込む感じだ。

のど飴は知らないうちに舐めおわりそういえば縁切ったんだった 雪吉千春 いつの間にか舐め終わったのど飴。自分が縁を切っておいて、その人との繋がりが無いことを一瞬、アレ?と思う感覚。上句下句の付き方が絶妙にクール。「そういえば」がいい仕事をしている。

2021.9.23.~24.Twitterより編集再掲