原初への旅(前半)【再録・青磁社週刊時評第十回2008.8.18.】

(青磁社のHPで2008年から2年間、川本千栄・松村由利子・広坂早苗の3人で週刊時評を担当しました。その時の川本が書いた分を公開しています。)

原初への旅(前半)            川本千栄


 小黒世茂の第三歌集『雨たたす村落』を読んだ。前作『猿女』(二〇〇四)に引き続き、熊野がテーマである。熊野と言えば、熊野古道が世界遺産に指定されたことも記憶に新しい。世界遺産という言葉からは去勢されたような身綺麗な観光地が思い浮かぶが、小黒の描く熊野はどうしてそんな甘いものではない。太古の闇、神話世界などの決まり文句も浮いてしまうような、骨太の歌が並ぶのである。同じ作者による『熊野の森だより』という短歌+エッセー集も続けて出た。写真も豊富で、歌の背景や熊野の地への理解と興味が深まる。
  とぶ鳶をアイロンとして山襞を伸ばしひろげむ吉野十津川 『雨たたす村落』
  春潮を力かぎりにひきもどす巨き手あれは須佐之男ならむ 
  鉄錆のにほひまじれる潮風に大岩ざざつと波をぬぎたり
  
 とにかく景が大きい。『熊野の森だより』で小黒は「…奈良県吉野郡十津川村大字桑畑字果無(はてなし)は、人馬不通の大山塊にある。九七パーセントが森林である吉野十津川郷には、時代の流れに埋没しなかった人の営みのさまざまが、風土の中でいまも脈々と息づいている。…」と描写している。その山に囲まれた土地に立ち、山際を滑るように飛んでいく鳶を見ている作者。掲出一首目は、歌集冒頭近くの歌であり、読者を大きな景の中に招じ入れる。また掲出二・三首目は歌集半ばの太平洋を描いた場面であるが、山のスケールの大きさ同様、海も大きい。潮の動きに須佐之男の手を見るのは、そうとしか表現できない景の大きさということもあるだろうが、この作者が見えない世界を見ることに長けているためでもある。三首目、海の荒波をかぶる大岩の姿を目の前に見るような描写であるが、「岩が波をぬぐ」という把握から、波も岩も生命体のように見る作者の視線が感じられる。
  春の月そろそろ招かむ後南朝遺跡のまへを孕み鹿ゆく  
  鬼百合の蕊のほとりに頬かぶりしなほすは誰が落人の裔(すゑ)  
  杖つけば紅葉散るなり 空海さんは高野へ小辺路をいんだろーがい 
  先達は八咫烏にてこれよりは木の芽脈打つ春の樹海へ     
  雨粒にまじり蟻んこふる谷はまことにぬくし 縄文の闇
  
 作者の目は時間を縦横に行き来する。後南朝や落人、空海、八咫烏など、文字で記された歴史の時代の端緒まで遡り、さらには縄文時代の空気感まで感知するにいたる。『熊野の森だより』にも「…雑穀やイモなどで米の不足を満たし、木の実や川魚や鳥や獣で食文化をつむいでいる。そんな奥熊野の暮らしは端的にいえば、近世までが縄文時代だった。…」とある。このように長いスパンで時間を捉え、自らの体感とともに描き出した歌集は昨今の歌壇において貴重である。

(続く)

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