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『現代短歌』2021年9月号(1)

君の手がいくつか折っていく紙の飛行機、はやく絶頂よ来て 坂井ユリ 性愛の場面と読んだ。だとしたらかなり踏み込ん歌だ。君のする愛の行為を紙飛行機を折ることに喩える。君は何やら一生懸命、丁寧に指を動かしているが、主体はその行為に隔たりと不全感を感じているのだ。

遠くから撮りたい 崖に行ってきた顔でミモザを見ている人を 坂井ユリ 自分の心の果てを見た人が、そこから帰って来てミモザを見ている。主体には分からない心の崖。だから主体は遠くからその人を写真に撮りたいと思う。ブレていてもいい、映っていれば。そんな繋がりなのだ。

藤棚の藤があなたへ垂れ下がるいくらあなたを呼び戻そうと 坂井ユリ びっしりと垂れ下がる藤にあなたの半身が隠れてしまった。顔が翳になってしまっている。いくら主体が呼び戻そうとしても、あなたは藤の花房の向こう側へ行ってしまった。無音の白昼の場面を思う。

消費だとあなたは言えり通話のち井戸ほど黒きiPhone画面 坂井ユリ この連作のテーマは水俣。主体は『苦界浄土』を読み、写真集を開く。映画も見たのかも。そんな水俣の人々への心寄せをあなたは「消費だ」と言った。通話後のiPhone画面は、二人の心の隔たりのように黒く深い。

紫陽花の頭もがれき 救済に線引きありき、いや、今もなお 坂井ユリ 紫陽花を人の頭に喩える。よくある比喩だが「もがれき」が強い。あらゆる人災天災に施される救済には常に等級差がある。水俣病に対してだけではない、今もある。大事故の時のトリアージなどで顕在化する。

クラクラするような連作を読んでしまった…。社会詠と分類していいのかどうか。主体の毎日の生活の中に完全に取り込んでしまっているから「いわゆる社会詠」とは全然違う。この連作では君・あなた、と呼ぶ人との関係の不全感がもう一つの主題。バランスの取り方が抜群だ。

死ぬるほどの恋と思ひて死なざりき水ほそく出しグラスを洗ふ 菅原百合絵 そのさなかにいる時は死んでもいいと思っていた恋だったが、恋は終わり、自分は死ななかった。醒めた空しい感覚がグラスを洗う動作から感じられる。「水ほそく出し」の細かい描写がいいと思った。

われを慰め家へ帰せり 怪獣を星ある方へ戻すごとくに 廣野翔一 自分で自分を慰め家へ帰らせた。自分が帰っただけなのだが。ウルトラマンが怪獣を故郷の星へ抱えて連れて帰った回があったような気がする。ウルトラマンに抱えられる怪獣の身動きできなさを妙に可愛く思い出す。

本編を終えてから観る予告編みたいにきみをわかろうとして 佐伯紺 とても新鮮な比喩。映画本編を見てもよく分からなかった大意を、コンパクトな予告編で理解しようとする。直接接してもよく分からなかった君の真意を、ラインやツイッターから読み取ろうとしているのか。

ささやかな焚き火へ木屑足すように色鉛筆の香を削りおり 鈴木加成太 色鉛筆の「香」を削った、という把握が美しいと思った。上句は全て比喩なのだが、小さな焚き火の上で主体が色鉛筆を削っている絵が浮かぶ。何かの善に自分の小さな力を足したい、という気持ちも感じる。
 くさわかば色鉛筆の赤き粉のちるがいとしく寝て削るなり 北原白秋 を思い出した。白秋の歌は視覚に、鈴木の歌は嗅覚と聴覚に訴えてくる。色鉛筆の木軸の匂い、焚き火の匂い、焚き火の木のはぜるパチパチという音…など。

ややゆるい蛇口を締めて水滴を暗いところに閉じ込めている 道券はな 水がポタポタ漏れるとイライラするので、ぎゅっと締める。主体はその行為が、水滴を閉じ込めていると感受する。閉じ込めている、と感じた瞬間に自分が閉じ込められているような閉塞感が生まれてしまうのだ。

2021.9.21.~22.Twitterより編集再掲