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河野裕子『紅』(15)

いつ見ても寂しい花のコスモスが日暮れは水のむかうに透ける コスモスが寂しい花なのではなく、見ている主体の心が寂しいのだ。「水」は川だろうか。日暮れの川の向こう岸にコスモスが揺れている。夕日の中でその影が透けて見える。それも主体の寂しさの投影なのだ。

みづの上(へ)を流れゆくみづけぢめなきその輝きを川は運べる 川の流れの中では水は上とも下ともつかず流れてゆく。何らかのかたまりとなって流れる水は、上下の区別などつかないが、ひたすらに輝いている。川は水というよりは、その輝きを運んでゆくのだ。

跨がむとわがせしときに陽が翳りふいに扉(ひ)のごとく水たまり閉づ 跨ごうとした時に陽が翳り、開いていた扉のようだった水たまりが突然閉じた。その比喩は言葉上の工夫というより、おそらく直感的なものだ。扉のごとく閉づではなく、水たまり閉づ、の語順が大切だ。

枝の上(へ)になほ降り積みて生木(なまき)裂く雪のかたちはやはらかそうに 雪が木に降り積もって、その重みで生木が裂ける。北国の雪は怖ろしい存在だ。けれども見た目だけはやわらかそうで、何も害は無さそうに見える。象徴ではなく、あくまで写生の歌と取りたい。

2023.10.7.~8. Twitterより編集再掲


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