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冬の心中

街に心優しい王子の銅像が立っていました。王子はつばめにたのんで彼の金箔や宝石を貧しい者たちへ配りました。そうして。銅像の王子は薄汚れた灰色の像になり、両目を失います。つばめは、「わたしはどこへも行かず、ここであなたの目になります」と言いました。
_____冬が訪れ雪が降り出し、寒さに弱いつばめは、王子に別れを告げると足元に 落ちて力つきました。その悲しみから王子の心臓もはじけてしまいました。王子の鉛の心臓はつばめとともにごみ捨て場に捨てられました。
そのころ、天使がこの町へやってきました。
『あの町でもっとも尊いものを2つ持ってきなさい』
神様にそういわれていた天使たちはごみ捨て場から”王子の心臓”と”つばめ”を持ち天に向かいました。
ふたりは天国で「永遠の命」をさずかり天国の門を守りながら幸福に暮らしました 。
〈 幸福の王子 〉




うす汚れ盲目になった王子ははたして幸せだったのだろうか。痛ましい姿になりながら、それでも誰かを想って朽ちた王子の心は、いくら考えてもきっとあさましい私には分からないのだろう。
この物語の中で、唯一理解できることがあるとするならば。愚かなツバメはきっとあの冬の日々、ルビーを貰った母親より、サファイアを貰った少女より、金箔を貰った街人の誰よりも満たされていて、自分は世界でいちばん幸せだと思っていたに、違いないのだ。




「幸福の王子」


ふむ。そんな効果音が聞こえそうな顔で、私の持つ童話のハードカバーを覗く影。童話も読むんだね。君はそうやって笑った。君の口から落ちて小さな机で跳ねて本の上に乗って、私の鼓膜へと転がってくる。君の言葉と声はいつだって、眩しいくらいの暖色をしていた。


「おまえの見てる世界、見てみたいなあ。白と黒、俺好きなんだ」何時だったか君は、呆気にとられるほど無邪気に呟いた。私の目は色を感じない。興味を持たれることはたくさんあった。けれど、そんなことを言われたのは初めてだった。にっこりと笑うモノクロの君に戸惑って、上手く言葉が出てこない。だってあの時生まれて初めて、私は君の言葉に”色彩”というものを感じていたのだ。



「童話はそんなに。このおなはしだけは、好き」
「そうかあ。おれはがおまえが何時も読んでるすっげえ小さい文字の本より、こういうのがいいなあ」


悪戯っぽく君が笑うので、束の間世界に色が散らばる。君だけはとてもカラフルだねえ。思わずそうこぼした私に、君は首を傾げた。
春の彩りや花の色彩を私は知らない。けれど暖かいと揶揄されるそれらは、きっと君の言葉の色と同じなのだろうなあと思った。


私の世界はモノクロだった。生まれたときから与えられた永遠の冬の中で、君一人が色を持ってここに居る。そして君は暖かい色をしたその言葉を、毎日変わらずにクラスメイトたちに手渡すのだ。こんな私にだって、変わらずに。



”幸福の王子” のようだなあ。
私は常々そう思うのだ。色彩のない冬のような世界で、彼だけが美しい色を宿して教室を照らす。誰にもその優しさを配る。君が居るだけで、世界は優しくなる。
物語との覆しようのない違いがあるとすればそれは、君の輝きは何者にも奪われたり失われたりなどしないこと。そして私なんかじゃ、王子の唯一であった大切な大切なツバメには、なれないということ。

叶いそうにもない願いは悲しいくらい薄っぺらいくせに、なんて頑丈で何時まで経っても消えてくれないのだろう。君の特別になりたいです。なんて伝えられる筈がないことは、あさましくたって、わたしほどの愚図にだって、わかるのだ。




柔らかい灰色をした放課後、もう教室に生徒はいない。何時だってその濃淡のみを変える空と教室の陰りの中で、ぼんやりと本を眺めていた。遠くから僅かに、いくつかの部の掛け声や喧噪が聞こえてくる。その中にあの人が居るのではないかと、そっと目を閉じて耳を澄ます。瞼の裏でも目の前は薄い灰色をしていて、まるで世界からなにもかも消えてしまって独りになってしまったみたいだと思った。



「ねえ、どうした」


教室の入り口の方からずっと探していた声がして、冗談のような偶然のせいで束の間固まってしまう。気分悪いのか。そうやって聞く彼の言葉に目を開けば、いきなり色づいた教室に目眩がした。


「大丈夫?」


何も言えない私にいよいよ心配そうな顔をして、ゆっくり近づいてくる。遠い喧噪は、不思議なくらい聞こえない。私の心臓だけが、喧しかった。



「・・・ごめん、大丈夫。ちょっと目眩がしただけ」
「保健室あいてないだろうな、家帰れる?」



うん。ありがとう、大丈夫。ほんとうだよ、大丈夫だから。

心配してくれる君へ、阿呆のようにそう繰り返した。大丈夫なんかでは、けしてなかった。

なぜだかよく分からないけれど、ひとつふたつ、頬をつたって涙がおちた。君は驚いた顔をして、ハードカバーの表紙の王子様とツバメは、ふやけて滲んだ。



「なにか、用事あったんでしょう?声かけてくれてありがとう。たまたま気付いてくれて、嬉しかった」



上手く笑えているかな。
”独り” であることよりも、”ふたりになれない” 事の方が、よっぽど悲しくて寂しくて辛いことだと思った。そう思うととてもとても心臓のあたりが締め付けられるみたいに痛むのに、ああわたしの心臓はこんなに悲しくてもはじけたりしないんだな、とすこし可笑しかった。分かっていた事だろう、阿呆め。こんな、立ち上がれなくなるほど傷つくなんて。


「ありがとう」


心から出た感謝だった。君は何か言いたげで、けれど私が頷けば、そっか、と言った。心配そうな、少し納得いかないような顔をして、一度だけ振り向いた君がゆっくりと廊下の奥へ消えていく。




あの人の、おひめさまにも、ツバメにもなれないのだな。
後から後から流れたしずくを追う涙で、とうとう机の上で溺れてしまった王子様を見て、そう思った。



君の言葉に宿る輝きが、王子のように磨耗してしまうものだったなら。誰の目にもとまらないほど鈍いものに変わってしまったなら。もしそんな時が来ても私がずっと君の周りで飛ぶよ、誰も振り向かないような君になってしまっても私だけが君の傍にいるよ。だから、だから、物語の最後のように、ふたりして朽ちたあとは私だけの特別になってくれたら、なんて。


君の口から流れ落ちる春色の音を見ていた。私の世界で唯一の、枯れることのない色彩を見つめていた。君がほかの誰かと何一つ変わらない白黒だったなら、私は君を見つけただろうか。その彩りが何時か枯渇して君が伽藍堂になってしまったなら、私を選んでくれるだろうか。私は繰り返す。薄っぺらい ”もしも” を、何度だって繰り返す。



私の物語の中で、冬の中死んでしまうのはツバメの心たったひとつだ。さあ、ゆっくりとこの恋がしおれて消えてしまうまで、痛みと悲しみとを大切に大切に抱きしめていよう。

ここははじめから寒くて冷たいところだったじゃないか。永遠の冬を歩く中で、たった一瞬春に触れてしまっただけ。それだけのことだ。


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