廻転するわたし、波打つあなた

私はずっと、廻転していた。


生きていればいくつも起こる人生の起伏のことを、「波」と称することがある。いいこと・好調な時期があったあと、悪いこと・不調な時期がきて、上がって、下がって、また上がって、その流れを波と呼ぶもの。上手い表現だなあ、と思いながら、自分にはあまり当てはまらないなとずっと思っていた。

常に好調だ、というわけでは決してなくて、私にも人並みに、いいことと悪いことがたくさん起こった。時に上がって、時に下がるのだけれど、「波」という言葉がしっくりこなかった。

波というのは上下しながら進み続けているイメージがある。好調と不調を繰り返しながら、もがいて、けして止まらず前に進んでるというような。目標の方向であるにしろないにしろ、みんなどこかへ向かっている。

怠惰なわたしというのはいつだって、自分自身のペースや居場所を(良くも悪くも)変えるつもりがあまりなくて、邁進するだとか、突き進むだとか、そういうことはしなかった。だからわたしの人生の起伏は、波というより、「廻転」に近いのかもしれない。上がり、下がり、また上がるのだけど、わたしはその場でただずっと廻っている。どこへも向かわずに。


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わたしのこころの「廻転」の軸は、いつも双子の姉だった。それだけはどんな時も変わらなかった。何をしてもらうということはないのだけれど、双子特有の感覚だろうか。自分自身が外側にもうひとりいるというのは、「なにがおきても、大丈夫だ」と、よく分からないけどとにかく強固にわたしを安心させた。

しかし強固で信頼の置ける軸があっても、否応なしに人生の起伏は起きる。好調な時期をゆったり過ごしていても、どこかで廻転するエネルギーを微かに感じていて、「あ、これから、おちていくな」と気づくことはままあった。

落ちた先はいつも、そこまで居心地が悪くない。廻転の底から登り始めてきたときにようやく、「あそこは冷たくて暗くて、嫌なところだったな」と気づく。心が鈍間になっているのだと思う。思っているより遥かに低いところまで落ちてしまったことに、一番底にいるときは気が付いていないのだ。

幸福なことに、長いこと生きてきて、やっとここ数年は廻転スピードがとても緩やかになって、わたしは高い位置に留まっている。心地がいい毎日の尊さを、見つめる余裕も出てきた。

先程書いたように、落ちているときのわたしのこころはとても鈍間なので、穏やかな時間を過ごすようになった今やっと、人生の底にいたときのことを思い出すようになった。


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自分が冷たくて暗いところにいる間、そこで出会う人というのは、もちろん同じくらいに暗いところにいる人たちだ。暗闇で出会った数人の知人を思い出す。あのひとたちは苦しくてもがいていた。水面に上がろうとしていた。波打つ人生を生きていた彼らと、ただ同じ場所に留まってくるくる廻転していた私とが、たまたま海の底のような場所ですれ違ったのだった。


こんな場所で。奇遇ですね。上に上がれそうですか。難しいですか。息は持ちそうですか。


言葉をかわして、あのひとたちは、そんな質問に首を横に振ったような気もする。鈍間なわたしが誰かに救済を施せる訳もなく、わたしは少しずつ廻転して、あのひとたちはもがきながら、沖合へ。

彼らは、無事に水面へたどり着いただろうか。波なのだからいつかは上がるのかもしれないけど、あのとき出会った知人たちは、もう息切れしかけていた。

(なにもできなかったな。なにかできただろうか。)

自分が海からあがりきった今やっと、そう思う。


こころのスピードがもとに戻ってきたので、いまはもらった優しさをその場で抱きとめることができる。わたしや誰かを救う言葉だな、と思うものをたくさん頂いてきた。同じ事ができたら、と願いこそすれ、こんなわたしが誰かに何かをしてあげられるとは思えないけれど、「なにかできるかもしれないな」と思うことだけは辞めないでいたいと思う。


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そういえば。先日Twitterで、自分のあるツイートがたくさんの反応をいただいた。

ふいに♡がたくさんきたのでとても驚いたけど、みんな星や宇宙が好きなのだ。(あと自分の意訳をみんなが気に入ってくれたようでそれが嬉しかった)

この特殊な動きをする連星、実際はただ「廻転」してるだけなのだけど、2つの星のそれぞれの公転・自転、地球の公転・自転、様々な動きの条件が重なって、地球上の1地点から観測すると、「ワルツ」に見えるのだ。


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褐色矮星は自らで光ることはない。誰かに偶然観測されてはじめてそこに在ると認識されるのだけど、私のようなのも、似たようなものだなと思う。

暗闇で光りもしないのに、海の底のような場所で誰かと出会えたこと。ひかり輝くものが山程散らばるようなまばゆい場所にいるときにも、誰かに見つけてもらうこと。幸せなことだ。


これからも数え切れないほど、上がったり下がったり繰り返すのだろうな。成長なくただ廻っているだけの私だけれど、人生の中ですれ違う誰かの波間から見つけてもらえた時、もしかしたら。

ワルツのように見えるのだろうか。

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