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【写真】私たちは世界を解釈しつづける

この世界に生きているのに、今ここにいない。
そんな感覚の中で眠りを繰り返す。

ここ一か月、ずっとうっすら調子が悪い日々を過ごしていた。

休日もろくに起き上がれず、近所のコンビニにすら足が向かず。数日間引きこもっては働きに行く。身体の中にある、季節の変化を敏感に感じ取っていたプログラムがうまく動いてくれなかった。ここ最近の花々の移ろいも、新緑の深まりも、記憶の中に残されていない。




世界そのものと、私たちの目に映る世界は完全なるイコールではない。

脳が視覚から得た情報を扱うとき、勝手に補正したり勘違いしたまま処理したりしている。錯視なんかがその代表例だろう。またうつの症状のひとつとして世界が灰色に見える、なんてこともある。

人間は光の一種である赤外線を見ることができないが、鳥には赤外線が見えるものもいて、私たちが見るよりも鮮やかな世界を生きているらしい。逆に、猫は色を感じ取る細胞の種類が人間よりも少ないため、その分色の少ない世界に住んでいるとする説も存在する。




完全な、ありのままの世界とはどのような姿をしているのだろうか。

命はこの体、それもこの自分だけの身体から逃れられない以上、あるがままの世界を見ることなど叶わない。この私が見る世界の色彩と、あなたが見る世界の色彩が同じかどうかすら、一生確かめることもできない。

そのどうしようもない絶対的な孤独を、すべての命が内側に抱えている。

事実なんてものはなく解釈があるだけだと言った哲学者がいるが、今目に映っている世界も、この身体が解釈したものにすぎないのだろう。




宇宙から夕焼けはどんなふうに見えるのだろうか。
空と宙の境界は、一体どんな色をしているのだろうか。

労働からの帰り、夕日に身体を浸しながらふと考えた。橙色、紺色、紫色、桃色。いくつもの色彩がランダムにグラデーションを織り成し、太陽が眠るまで絶えず変化を続ける。久々に写ルンですをカバンから取り出して、こっそり撮影した。不規則にならぶちぎれ雲がまた良い表情をしていた。

工事を経て新しくなった公園に、たくさんの紫陽花が植えられていることに気づいた。そうか、雨の季節が近づいているのか。紫陽花は特に好きな花のひとつだ。満開になったらこの一帯はどんな姿になるのだろう。

プログラムが動き出す。世界をつまらないものとしてしか解釈できなくなっていた身体が、少しずつではあるけれど、ようやく回復してきたらしい。



世界の本当の姿は、実はもっと無機質で、味気ないものかもしれない。

昨日は希望として解釈したものごとが、今日には絶望としてしか解釈できなくなるかもしれない。意味あるもの、価値あることだったはずの何かが、未来では塵と化しているかもしれない。

それでも私たちは世界を解釈しつづける。

その果てで狂ってしまうぐらいなら、今ここで適度に踊ろう。この身体が受け取る世界が自身の解釈にすぎないとすれば、すべては夢、幻、まやかしみたいなものなのだから。



























月報

気温と気圧の乱降下に心も身体も揺さぶられ、まともに動けない日々が続いている。ゴールデンウィークは例年通り働きに出た。どこに行っても混んでいるような日にはむしろ労働を選ぶ人生。そんな連勤の後に雨雲がやってくると、どうしても昼頃まで起き上がれない。今月はずっとうっすら体調が悪い。

私のことを応援してくれていた方がまた一人、旅立ってしまった。母が亡くなった後、その方のカフェに私と父で赴いたとき、母の分のコーヒーも一緒に作ってテーブルに出してくれた。あの深い優しさをずっと覚えている。叶わなかった思いがまた重なる。荷物がまた重くなる。それでも私の人生はまだ続いている。


今月のプレイリスト

PEAK TIME / 礼賛

解放区 / ポルノグラフィティ

満ちてゆく / 藤井風

   


  

 

良いんですか?ではありがたく頂戴いたします。