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ART SINCE 1900 読書メモ(要素の抽出と感想)_2_2007cアートと市場

序論

2000年代初期においてはアートの価値は知名度や金銭的な成功と同一視されてきた。批評などのその他の判断形式は切り捨てられて来た。(と批評家ハル・フォスターは言っている 笑)

新自由主義のパトロンたち

資本主義の歴史に沿って第二次大戦の後、新たな富裕層たる「国際的ブルジョアジー」の面々がアート界での存在感を増した。
そして、所々の規制緩和を契機として「スーパーリッチ」たる面々が登場した。当初においては広告業界の成功者がその代表であった。
この時点では、コンセプチュアルアートやパフォーマンスよりは絵画や彫刻など市場価値が確かなものが好まれた。

経済の新自由主義化の後は広告業界から金融業界に富裕層の旗手が遷移した。金融っぽく現代アートを担保にして取引をしたり、キャピタルゲイン税(株や債券で儲けた分にかかる税)を支払わなくてよい資産である、というアートならではの特性に注目が集まり、アート資産の取引は証券の一部門と見做された。
また下記の要素も相まって、アート経済圏は大きく発展した。

・アート取引においては金融業界では違反とされる、インサイダー取引や価格操作も慣行として許容される点
・アート作品は実体の価値に比べて価格が総じて低く見積もられているため、将来に向けてものすごい振り幅で価値(評価額)が上昇する可能性がある、という了解(これもまぁ幾分かデリバティブ取引に纏わるリスクと通じる部分もあるが、、)の存在
・アート作品は基本的に一点物である、という点を根拠とする希少性の認識
・オークションやアートフェア、あるいはコミッションワークなどを通してグローバル規模の個人取引が可能である点
・現代アートを買うことで(幾分「野蛮」な国際的ブルジョアジーが)文化社会にアクセス(参加)する喜びを得ることができる点

ただ、このような形での発展を遂げた影響からか、所有者に「作品を見せびらかしたい」という欲求が生まれ、作品は大規模化し、それに伴って制作経費は莫大になった。(ex.マシュー・バーニーのクレマスターシリーズとか、オラファー・エリアソンの作品とか)
この流れは少数の顧客に私的に作品を供給するという点において、ルネサンス期とあまり変わらない感じがする。

また、ジュリアン・スタラブラスによれば、現代アートがメディアや市場と混ざり合うことで下記傾向に拍車がかかった。

・若さのイメージの強調
・見栄えの重視(雑誌や図録において。現代においてはSNS映え的な意味も?)
・セレブリティアーティストの地位上昇

かつては、「アーティスト」はボヘミアン的な立ち位置を期待されていたが、現在はポストフォーディズム経済内での創意を発揮する労働者のモデルとして捉えられている。今、流行り?の「アート思考」的な。
(ex.分野を跨いだ横の関係に強い・個人的かつオープンな関係性・創造性・先見性・差異への感受性・生きた経験に耳を傾ける姿勢・多様な経験を受け入れる寛容さ・形式ばらない態度、等)

市場が媒体である

村上隆やジェフ・クーンズを始めとしたこの時代の有名作家は会社を経営したり、多数のアシスタントを抱えての制作・各種イベントの企画など、マルチタスクを行う面々が目立つ。彼らにとって市場の実践の構造・むしろ市場そのものがアートの媒体と言える。
彼らは大衆文化やキッチュの本性を目ざとく嗅ぎつけ、金権主義の中にあって下層階級と連動「するような」仕草をしている。
そして、「浮ついた歓喜」や「うんざりする絶望」もしくはその両者を混ぜたものを、不吉な一種倒錯感のある「キュートな退廃」として表現している。そういった(ある意味悲壮感を伴う)皮肉と共に社会帯域を股に掛ける姿勢が彼らの「面白み」を演出していると言える。
なお、ダミアン・ハーストは「センセーショナルなもの」はもはや「センセーショナルではない」こと・「無感覚こそがショックの裏返し」であることを見抜いていた。

資本主義の歴史・ブルジョアジーの存在をニヒリズムの観点から考察し、アップデートを試みたことが彼らの業績の一部である。

ちなみにアンディ・ウォーホルがかつて実践したような、「アートと商業」・「高級と低級」・「希少と大衆」・「高価と安価」等の要素を混ぜて「センセーショナル」を表現するような形式は、今となっては対立軸に置かれた両者が融合してしまっているので、大して面白くない。

景気後退の美学?

そして、2008のリーマンショックを経て下記の問いが生まれる。(記事においては問いかけのみで、答えは読者が考察するスタイル)

・アートのエンタメ化は止まる?
・公共圏のある種の次元・部分を現代アート向けに使える?
・美術館組織は変わる?
・新自由主義のパトロン達(金融業界やIT長者等?)がもっと力を増す?
・グローバル金融業界と共に発展した現代アートは前者に対してどのような役割を果たしていた?
・ローカルな発展と国際通商という経済モデルであるビエンナーレの構造は今後どうなる?
・グローバル化が進んでローカルが衰退した場合は、アート界を保護する流れが生まれる?

用語メモ

ポストフォーディズム経済
雇用されている賃労働者だけでなく社会全体を剰余価値生産に総動員する状態。資本によって社会全体は労働の下に置かれ、脱政治化する。ざっくり言うと、一般市民は労働中だけでなくそれ以外の時間も政治活動に充てることができず、一部の「専業政治家」のみが政治を担っているような状態。

人物リンク

ジュリアン・スタラブラス

リチャード・フロリダ

感想

アートと金融のつながりにおいて、「デリバティブ(実体のない、株とか債券とか)」の話題が出てくることに最初は違和感があったが、完成前のコミッションワークであったり、コンセプチュアルアートのコンセプトそのものは実体がなく、まさに「口約束」のデリバティブと言える、という知見を得た。(本書の読書会にて)
また、「キュート≒かわいい」の延長線上というか同軸に「退廃」がある、というのが妙に納得できた。
ちなみに、新自由主義のポストとして、共同体主義を考えるのなら、現代の多元的な社会の中での避けられない不一致を受け入れる公共の文化を形成するために、市場だけに文化発展を任せきりにせず、我々自身が道徳や政治・市民の在り方について熟考しないといけない、ということを再認識した。私自身はいち作家として、新たな作品・見解を提示することによって。

これから読む予定

『不確実性の人類学:デリバティブ金融時代の言語の失敗(2020・アルジュン・アパドゥライ)』
本書の読書会で話題にあがり、気になったのでメモ。


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