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ゆっくり、曖昧、流れるままに

のんびりしていると、

あっという間にもう1月も後半です。


私はほんとうに小さく細々と、

創作活動をしている者なのですが


全くマメな方ではなく、

かなりのスローペースであり、


noteのこの世界も

しばらく訪れない期間があると思うと、


ある時思い立って、ずっとひたっている、

のような、感じで

うちこめるときと、そうでないときの

差があると、昔から感じています。


それは考え方によっては

マイナスかも知れないけれど


その、いつでも自分のペースで

好きなときに好きなだけ、という自由さが

自分にとっては、長く続けられる

大事なことでもあるのかな、と思ったりしています。



noteの世界にくると、

いろんな記事を読んでいるときも

何かを書こうとしているときも

自分の中の感じ方では、

日常とは違う、文字通り世界が変わって

時間がゆっくりと、

深いところで流れているような感覚になります。


同時に、不思議と、

私自身が自分のところに戻ってくるような

(我に返ると言いますか..笑)

ふだん、外の色々に対応している自分が

すっと私の中へ帰ってくるような感覚


何もしないでぼんやりと過ごすときに近い感覚で

そういうときにはいつも、

私がわたしだ、と気づく瞬間があります。



どこかの何かで知ったのですが

(よく言われていることかも知れませんが)

何もしていないとき、というのは

自分の中の見えない本来の領域が

活発に動いているとき、なのだそうで


ゆっくりすること、

何もせずにぼんやりと過ごすこと、こそが


自分の中にある本当の世界を、広げていて

いろんな大切なものを引き合わせる磁石のような力が

大きくなる、というような…


アバウトですが、なんとなく、

そんなような感じなのですね。


それを知ってからは、

何か生産的なことを、何一つしていない自分、

ゆっくりのんびりと過ごしているときの自分を

ダメだと思うような気持ちが、

以前よりも薄らぎ、やわらぐようになりました。



ゆっくりすることの他にも

なんとなく、自分の中で好きな感覚があって、


その一つは、“はっきりしていないもの”、なのです。

私はふだんはグラフィックデザインの仕事をしており、

色の世界などと、直結しているところがあるのですが


人は、グラデーションのものに、

目がいくという性質があるそうで


何色、と聞かれても

うまく言葉では表現できないようなもの


夕暮れの空の色も、

オレンジのような、薄いえんじのような、

淡いピンクのような、紫のような、

紫がかったブルーのような・・・


人の心も、何色、と一言では表現できない

いろいろな、さまざまな、

状況、気持ち、思い、自分だけの考え方、

などが合わさって、その人の色ができていて


どちらでもない間柄、とか

どちらともいえる想い、とか

近くも遠くもない、心地よい距離感、などのような


繊細で曖昧な、大人の感覚…


その“間の色”、のような部分が


美しいな、と思ったり…



このnoteも、何を書いているかよくわからない

ふんわりとしたもの、だけど


それでも、はっきりとわからなくても

自分の思いを、好きな世界を

ポツポツと曖昧な色で表現できれば


それがきっと自分の色なので、

とてもうれしいことだと、そんな風に思います。


これからもゆっくり、ふんわり、

自分のまま、流れるままに、

いまの思いを綴っていけたらうれしいです。。


拙い文章ですが、ここまで読んでいただきまして

本当にありがとうございました!


どうか暖かくして心ゆるやかにお過ごしください…*

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