見出し画像

私が母親と縁を切る道のり:1

気がつけば、もう11月。今年もあと2ヶ月。
こちらでは段々と気温が下がって来ました。
ハイツング、いつつけようかな。
エネルギー価格の高騰でいつからハイツングをつけるか悩んでます。


今日のテーマは「母親と縁を切った」って話。
この話は割と長くなりそうだから何回かに分けて書こう。

普通の場合、「親と縁を切る」って聞いたらどんな反応をするんだろう?
多分、親と縁を切るなんて良くないっていう意見が多いんじゃないかと思う。

実際、私も親と縁を切るまで、親と縁を切ることに罪悪感を抱いて
10年近く悩んでた。

でも私は思い切って10年前に母親と縁を切ってみた。
縁を切ったと言っても別に母親宛に絶縁状を送ったり、
実際に母親に向かって「縁を切る」と宣言したわけではない。
この10年間、私から母に連絡をしてないだけ。

多分これからも連絡をすることもなさそうなので
自分の中で「縁を切った」ということにしている。
母の周りにいる親戚とも全く連絡をしていない。
私が母との連絡を断ち始めてから、
何回か従姉妹から連絡があったが全部既読スルーした。

だから今、母親がどんな生活を送ってるのか知らない。
私の母は共感力がない人だった。
それはある事がきっかけになったので、母だけが悪いわけではない。

母も母で苦しい思いをしたのは理解できる。
ただ、母がした選択は結局最後は自分の娘から縁を切られるわけで、
そうならないような選択をしなかったのはとても残念だ。

私が母と縁を切るまで、私にとって「母」はずっとの重石だった。
子供の頃はこんな母親でも一応母親だし、世の中には母親がいない子たちもいる。そんな子達に比べたら、こんな母でもいないよりマシかって思ってた。

私の母は夜、水商売の仕事をしていた。
父親の仕事はシフト制だったので週に3、4日は夜家に居なかった。
そのため父親が夜の仕事の時は、近くにいる父の叔母の家で寝泊まりしていた。

叔母の家に泊まった時の私達の夕ご飯はお弁当。
叔母と叔父、そしてお手伝いさんが夕食を食べてる中、私と弟は母が作ったお弁当をテーブルの端っこで食べていた。

叔母の家に泊まった翌日、朝早く起きて私は弟と一緒に家に戻った。
朝食はいつもトーストとインスタントの紅茶。
父がいる時は父と一緒に朝食を食べた。

母はというと、夜中に帰ってくるので寝たまま起きてこない。
だから母が動いている姿を見るのは週末くらい。
こんな生活が私が小学校5年生まで続いた。

父が休みの週末はよく父方の祖母の家に泊まりに行った。

祖母はいつも
「お前達の母親は子供の世話もろくにしない」
「躾もちゃんと出来てない」
「勉強もさせてない」
と母親の悪口のオンパレード。

全くその通りで本当にロクでもない母親だけど、
祖母から母親の悪口を言われるのはすごく嫌だった。

その度に私は
「私がしっかりしないと母親の悪口を言われる」
「私がちゃんとしなきゃ、真面目でいなきゃ」
って思ってた。

こんな子供時代を送っていた。

中学校2年生の頃、父と母の喧嘩が耐えなくなった。
この頃はテスト前は夜中まで勉強していたので
私は母が帰宅するまで起きている時もあった。

何ヶ月か両親の喧嘩が続いたので、耐えられなくなった私は
両親に向かってこう言った。
「そんなに喧嘩するならさっさと離婚してよ。こっちは受験勉強してるんだから。受験に失敗したらあなた達のせいだから」

この時のことは今でも鮮明に覚えている。
すでに中学3年生。高校受験を控えていた。

これが中学生のセリフか?
後から考えても自分よくこんなことを言ったと思った。
両親が離婚してこの私にとって最悪な状態が無くなるならって。

この時の私は、自分自身を守りたかった。
両親のいざこざに巻き込まれたくなかった。
今までだってこの人たちはずいぶん私に迷惑をかけてきたんだ。
なんでこんな家庭に生まれたのか?
もう本当にうんざりで、絶望を感じて生きていたから。

それからそんなに日にちが経たないうちに母親は家を出ていった。

母親が出て行く前の両親の会話。

父:「出て行くならお前一人で出ていけ、子供は2人ども絶対に渡さない」   「俺は絶対に離婚はしない。」

母:「私は子供はいらない、2人共ここに置いていく」
「私は野垂れ死にしたっていい。だからこの家を出て行く」

そう言って母親は家を出ていった。

この時、私が何を思ったのか。
母親が居なくなったことで、もう両親のケンカを聞かなくて済むって思った。
自分で言うのも何だが、なんて薄情な娘だ。

それだけ、私の心はカラカラに乾いていた。

しかし、なぜ母親が家を出ていったのか、
その原因を知ったのは母が出ていったからだった。

理由はとても簡単。
好きな男が出来てその男と一緒にいたいから。

その理由を聞いた時、私たちは母親に捨てられたんだと思った。
正直、この時どんな感情だったのかほとんど覚えてない。

記憶は感情と結びついてるって言うけど、
記憶が無いってことは私の中に何の感情も湧かなかったか。
いや、多分記憶をシャットダウンしたんだ。
だって母親に捨てられたって、現実を見たくなかったから。

それからどうなったかって言うと
流石に母親も罪悪感が湧いたのか私と弟宛に手紙を書いて送ってきた。

送り手が書かれていない私宛の手紙。
今はもうそこに何が書かれてたか覚えてない。
私は弟に手紙を読んで聞かせた。

ただ、悲しくって弟と二人で泣いた記憶はある。

手紙は少し経ってから捨てた。

もう母親と会うこともないだろう。
私たちを捨てて出ていったんだから。

そう思って過ごしていた。

しかし、母親はそれから何回か父親のいない時間を狙って私たちに会いにきた。
母親はお菓子を買ってきてくれた。
一緒に暮らしてた時はお菓子なんか買ってくれたことなかったのに。
ほんの少しの罪悪感?

正直、会いに来て嬉しいとか、そんな気持ちにもならなかった。

こんなことをしても母が私たちにしたことはが消されるわけではない。

そんなこんなで1,2ヶ月が過ぎていった。

高校受験が終わった頃、父親から再婚することになったと聞かされた。

全くの寝耳に水。なんだそれ?

父は母が家をで出て行く時に、自分は「離婚しない」って言ったはずだ。
再婚って離婚しないと出来ないよね?

ってことは母とは離婚するわけだ。

父の再婚は母にとっても自分が離婚できるわけだから問題はない。
そう、両親にとっては父の再婚で一件落着。


でも、そこからがまた私にとっては問題だったんだ。

まず、父は交際相手がいることを私にだけ隠していた。
弟はすでに何回も交際相手に合わせていた。
そこで私が受験を終えたのを機に、再婚をすると宣言した。


おいおい、離婚しないって言ったのはどこのどいつだ?
私は唖然とした。一体どうなってるの?

私は父に反発した。

私にだけ再婚相手のことを隠してたのが気に入らなかったから。

私は父にこう言った。

「そもそも母親と離婚しないって言ったよね?」
「せめて私が高校卒業するまで待てないの?」

それに対しての父からの言葉は


「お前たちの母親とは離婚する、そしてこの人と再婚する」
「もしが嫌なら家を出て母親のところに行ってもいいよ」
「お前だけじゃなくて弟も連れていっていい」
「どうするか二人で決めなさい。」

私は弟に「一緒に家を出て母のところに行こう」と言った。

でも弟から返ってきた言葉は、

「ぼく、ここに残る。お父さんと一緒がいい」

父はすでに弟を自分が側に取り込んでたんだ。今思うと父は狡猾な奴だ。

だって私の弟は長男で父親の跡取りだ。
簡単に手放すわけにはいかない。

だから再婚相手に何度も合わせて自分達側に残るように仕組んでた。

私、馬鹿みたい。何も知らなかった。

「わかった。じゃあ私だけ母のところに行くね」

と弟に言った。
でもこれが私を何十年も後悔させることとは知らずに。

それから数日後、母が私たちに隠れて会いに来たときに

「私、お母さんと暮らしたい。私だけでいいから一緒に暮らしたい」

とだけ母に伝えた。

本当は一緒に暮らしたい気持ちなんてない。
ただ行くところが無かっただけなんだから。

母は母で、子供を置いて出ていった罪悪感が少しあったんだろう。
即答ではなかったけど、受け入れてくれた。

そこからは高校入学前までに引っ越しを終わらせ、母との生活が始まった。

でも後から母から言われた言葉。

「あんたじゃなくて、弟の方がよかった。私は私の跡取りが欲しかった。」

なんでって?

母は3人姉妹の長女。
本来なら母は婿を取って母の家の後を継がなきゃならなかった。
だから母にとっても弟の方が良かったんだ。

長男に生まれただけでこんなに扱いが変わるんだ。
女に生まれたいって思って生まれたわけじゃない。

私だって男に生まれたかったんだよ。
とにかく、この高校生活の3年間を何とか生き抜こう。

そう決心しして新たな生活をし始めた。


つづく。。。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?