見出し画像

プロフィール的なもの:2:「家住期」~離婚まで篇~


私は高校を卒業した後、就職の為に上京した。
本当は大学に進学したかったけど、
両親がお互いに学費の押し付け合いをしている姿を見て
ウンザリし進学するのは諦めた。
早く独り立ちして自由になりたい。
こんなところに留まるのやめよう。
こんな親の元は離れよう。
そう思って私は故郷を離れた。

ひどい境遇で育ったことにものすごくコンプレックスを抱えた私は
親のことを気にしなくていい環境にとても自由を感じた。

最初に勤めた会社は精神的に辛くなって10ヶ月で辞めてしまった。
それからは仕事を掛け持ちしながらフリーターとして働いた。
自分で稼いだお金は自由に使え、新しい友達もでき楽しく暮らしてた。

しかし、母親や母方の親戚からお金を貸して欲しいと連絡が入るようになった。
「必ず返すから」の一言を信用して私はお金を貸した。
それから私は一度も返金されることなく何度もお金を貸すことになった。
そんなことをしているうちに母親が脳卒中で倒れた。
母親の入院費、薬代、保険料で足りない部分や
さらに、母親が買った新車のローン、毎月の生活費など私の負担になった。
当時私が勤めてた会社の上司に相談し、上司と一緒に銀行や補償協会など
お金を貸してもらうことができるか動いたが、
担保も財産も何もない私はお金を借りることができなかった。
だめ元で父親にもお願いしたが、すでに再婚して居たため断られた。
それからやっと父親の親戚でお金を貸してくれる人を見つけてなんとか
お金を借りることができた。
そこからは親戚への借金返済と毎月の仕送りのため昼は会社員をしながら
夜も仕事をしお金を稼いだ。

それから何年か経ち、私は当時付き合っていた彼を結婚することになった。
その後も母や母方からの親戚からのお金の無心は度々続いた。
私はいつもこの事が夫に知られるのではないかとヒヤヒヤしていた。
正直夫には私がお金を貸している事を言えずにいた。
ついに祖母の葬式代まで私が肩代わりすることになってしまった。
「なんでいつも私なの?おばあちゃんの孫は他に何人もいるでしょ?」
「他のいとこ達ははみんな小さい子供もいるし、
 生活に余裕がないからお金は出せないんだ
 あんたは正社員で働いて収入も安定していし、
 子供もいないんだから働いてお金稼げるでょ、     
 葬式代は毎月みんなで分割しちゃんと返すから」
私は少しの希望を持ち、葬儀代を半分肩代わりした。
しかし、何ヶ月経っても返済は無かった。
しかも何の連絡もないのだ。
今月は出来ないけど、来月は少しでも返済するって
言い訳でもいいから連絡して欲しかった。

「子供もいないんだから」
そう確かに子供はいなかった。
私は子供が欲しくなかったのた。
そのことが原因でのちに離婚することになったのだけど、
私が子供の頃に経験したことを考えたら、
自分が子供をまともに育てられるとも思えなかった。
それともう一つ、
私に子供ができて働けなくなり収入がなくなったら、
誰が親のお金の面倒を見なければならないのか?
だから私は子供を産んではいけないのだ。
親のために働き続けなけれなならないのだ。
そう思い込んでいた。
段々と私の中の何かが崩れていった。

子供を欲しがらない私と子供が欲しい夫。
私たち夫婦の関係は徐々に壊れ始め、
最終的に40歳を節目に離婚という道を選んだ。

そして私は新しい人生を歩むために決心をした。
今まで15年一緒に過ごしたいた夫との離婚と、
母親や母親方の親戚と縁を切ること。

私は自由になろう。
今までだっていろんなことを乗り越えてきたんだ。
一人でもやっていける。
我慢することもやめよう。
誰かのために自分を犠牲にすることもやめよう。

これが私の「家生期」。離婚までの物語


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?