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栗饅頭〜〜〜〜〜〜!!!!!!!

とにかく今こいつをわしゃわしゃしてギュゥギュゥしてすりすりしたい。
もう会社疲れた!!!毎日判断したり面倒見てあげる対象が広がったり、私自身の仕事は一向に片付かなくって積み増されていくばかりで本当にイヤだ!!

あまり人の面倒見るのが上手くないから、資料とかを修正してあげたくても全く自分の思考回路と違っていたり意味不明なことを記載しているときの立て直し方がわからない。。ダメな理由を指導して直させるというよりは、自分で構成を変えてしまったところもあり、ちょっと反省。でも1回で全て修正させるというよりは、ちょっとずつ直させたら良いわけだから、まぁ、あながち間違いでもないか。。
そんなこんなで昨日も夜な夜な後輩というか部下になった?子の資料修正に3〜4時間もかかってしまった。

時間をかけすぎ、長すぎるかな・・とも思ったけど、別のプログラムでたかだか数分のプレゼン内容(英語)の修正・校閲に2時間ぐらいかかるからクオリティ高いものを送ってほしいという講師コメントを聞いて、まぁ、校閲初心者としては、そんなものかな、とも思い直した。

とにかく、今はいろんなタイプの資料を見ることでむしろ何が良い資料なのかを見極める能力をつけよう、自分自身の成長にもなるはず、頑張れ、私。

私の能力を考えたときに、それは責任感と真面目さ(と努力が継続できる)と人間観察・空気を読む力だとして、研究者や企業人に必要な能力として私は何か秀でているんだろうか。ただの面白みに欠ける優等生ではないのか、ではないかと最近よく思う。
その度にこれだけ身を粉にして働いても、私はそもそも決定的に足りていないから、意味がないことにフルベットしていて、もっと他の幸せを見つけたら良いのではないかって思って、いつも涙が出てくる。

会社からの自身への期待値は当初から低くなかったけど、この今の状況もあって、ますます高まっているのを最近ひしひしと感じる、だって、私は努力家だし、頭も悪くないし、面倒をみる家族もいないから、会社からすると計算立てやすい中堅社員になるんだろう。

でも、ただの優等生は組織の管理職候補に必要なんだろうか。
ずっと縁の下の力持ちとして、誰かの指示や保護を受けながら求められた優秀な成績を収め続けていくことが私にできることだと思ってきたのに、私が将来的に管理職になって誰かを導いてあげるなんてことは、出来るのだろうか。

そういう意味で、自分の限界を自分自身が認めざるを得ないと感じる時に、この組織で頑張り続けることが正しいのか、よくわからなくなる。

同時に、謙虚にもなる。
決める側の孤独や期待を受ける側の重圧も最近よくわかるようになった。自分の得手不得手を俯瞰すると、苦手だと思っていた後輩は単純に私の不得手を得意とする人だということがわかったり。これは嫉妬だったのだろうか。
誰しも失敗はするし、得て不得手がある。一つの切り口だけで、人を判断することは稚拙で幼い考えだと今は思う。今更だけど。

もう辞めちゃった先輩とはつい最近も会ったはずだけど、大人数だったから、こんな込み入った話はしなかった。こんな内面の話をするのは若干こっぱ恥ずかしいのだが、私の2枚も3枚も上手で、ずっと私の先を行っていた先輩は私の今の状況をどう思うんだろう。
先輩は、この重圧をどうかわしていたんだろう。交わしても交わしきれなくなったから、辞めてしまったというのもあったんだろうけれど。

1年以内に、もう少し自分がこの立場に慣れた時に、サシ飲みの約束を取り付けよう。

タイトルと中身が全く関連しないけど、新米サブユニットリーダーとして2週間が過ぎた私の内省。

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