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現代短歌に魅せられまして。

タイトルにもある通り、現代短歌についての語りです。


初めまして、こんばんは。千悠こえだと申します。


先日Twitterを徒然なるままに覗いていましたら、

素敵な歌を見つけました。

心を打たれた筆者は、その短歌たちへの思いを綴ることにしました。


といっても、現代短歌に魅せられたのは先述の通りつい最近でして。

まだまだ知識は足りないのですが、気の向くままにやらせてもらいます。








靴紐をきつく結んだ 好きでいることを謝りたい人がいる /村上きわみ


私、この歌を見て、手の届かない相手に恋情を抱いてしまった少年少女を思い浮かべました。そのことを激しく責める、少年少女を。


住む世界の違う相手とか、憧れの先輩だとか。実の兄弟姉妹であったり、同性の相手であったり、先生であったり。と。


自責の念が靴紐を結ぶ行為に表れているのか、靴紐だけでなく口もきつく結んで思いを言ってしまわないように自制しているのか、苛立ちを靴紐にぶつけているのか、

真相は分かりませんが、心が締め付けられる思い、伝わってきます。



また、この歌の「好き」を「respect」の意味の「好き」と捉えると、筆者にも思い当たる節があるのです。


自分なんかがその方を尊敬していることが申し訳なくて、でもやっぱり憧れで、自分の気持ちには嘘をつけなくて。







靴紐、きつく結んだなぁ。










もう一つ。


よく通る声をしていた 靴紐をきれいにむすぶ指先だった /村上きわみ


この歌も良い。


声を聞くことなんて、靴紐を結ぶことなんて、何気ない日常の出来事でしょう。


でも、短歌の後ろにいる彼/彼女にとって、相手は特別な存在で、

何らかの形で失ってしまった今、その何気ない日常のことばかり思い出してしまうんだろうな、と。








儚い。











気が向いたら、また書きます。

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