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他人から褒められる嬉しさ

こんにちは、チヨコです

娘の学校公開へいってきたときの話

娘が「授業が面白い」と、言っていたので
大いなる期待を胸に行ったものの
娘大絶賛の授業見学は、大遅刻でほとんど見れず😢

だったけれど、休み時間の時に
娘の友達たちに囲まれて

「え🤩20代ですか!?めっちゃキレ〜」
「いいな〜 Aちゃん(娘の名前をAとしておこう)お母さん綺麗で」

など、「めっちゃキレ〜」を連呼され
褒めちぎられました😁

娘よ、いい友達を持った!
受験、頑張った甲斐があった!(違うか)

そしてその後のわたしは、テンション高め
「今日はいい1日だね〜」なんて呟き続けるわけです笑

でも、他人から褒められるのて、
嬉しいもんです!

もっと褒めて〜
褒めて育てて〜〜


ところで、セラピスト的な人と話していると

「自分で自分を認めて(褒めて)あげる」

と、言われる(セラピストあるある語第2号)わけですが
これが、よくわからない

いや、わかるよ
自分で自分を褒めるとか認めるくらい、やっている

目的に向かって頑張るし、頭の回転早いし、
鏡見て、「うん、かわいい、、」と自画自賛しているし
かわいくなる努力も捨てないし、勉強はするし
と、褒めているし
自分のダメなところはダメと認めているからこそ
他人や目指すべき場所とのギャップがわかって
さらに上を目指せる

でも、他人と比べるな、自分で自分を認めろ!
と言われても

????

にしかならない

自分で自分を褒める、認めるって
マスターベーション
だよね

マスターベーションて
確かに気持ちいいし、自分を知る上で大事
だけど、マスターベーションするからこそ、
他人が欲しくなる

自分で自分を認めるのは
他人がいなくても自分が存在し得るから
ということらしいけど

自分と他人て、必ず存在する
自分しか存在しない世界なんて、ない

自分評価と、他人からの評価 両方必要


とか

鶏が先か、卵が先か

なんじゃ?

自分を認めて頑張る→だから他人に褒められる
他人に褒められたい→だから頑張る

と、思った

「自分で自分を褒める、認める」
を唯一無二の勇者の剣のように振りかざしてくるのって
一般論のおしつけ

なのかも、思ってしまったわけです

以前、下の記事で

↑「自分なんて、、、、」
という自己否定から入る
と書いたけど、、、ちと違うな

自分を認めているからこそ、他人や目標からの
ギャップを気にして頑張る

これが正しいかも
自分を認識できているから、他人との距離感が
確認できるわけで
無条件に自分を否定しているわけではない
ということに
この記事を書きながら気がついたのです

書くって色々な気づきがあるな〜

そして、私はわたし!
一般論おし付けるな!


なのでした

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