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[コラム] 百人一首から曲

先週、創作一句として自分で詠んだ短歌を歌にした。

そんで、その時は、五七五七七をむりやり西洋音楽にあてはめてみたんだけども、西洋音楽にあてはめないとどうなるか…というコメントをいただいて、思いついたことがあったのでやってみました!!!

みなさんは、和歌を詠むときの独特の抑揚を聞いたとこあるだろうか。
百人一首を詠むときのあれ。

私は音階がついた歌のようなもので覚えているんだけど、これの出所が調べてもよくわからなかった。

競技かるたの読手の人の読み上げも、私の記憶のものとは少し違っているし、宮中で行われる歌会の詠み方も私が知っているのとは違う。

私が知っている音階は、おそらくばあちゃんなどから伝授されたものかと思うのだが、もしかしたらこれは、ローカルのものなのだろうか?

知恵袋などでこの音階についての質問がいくつかあって、どうやら私と同じような音階っぽいのもあったので、ばあちゃんオリジナルではないはずなんだけど、関東と関西で違っていたりするのだろうか??

興味津々である。

というわけで、今回は、小倉百人一首の推しを歌ってみたよ。

どうでしょうか。

耳に馴染みがある感じ?? それとも初耳???

◎曲について

私は邦楽の知識が乏しいので、日本古来からの感じの伴奏を作ることができない。
ので、どうしても伴奏は西洋音楽のルールで作ることになる。

近代の西洋音楽では、4小節ごとに区切ることが多いんだけど、五七五七七を素直に歌うとだいたい3小節になる。
※4拍子の場合は、4拍で1小節と数える。

今回は私が覚えている和歌の詠み方をやったら、やはり歌の部分は3小節になった。
そんで、間奏とか4小節になったりしている。

西洋音楽が入って来る前の日本の音楽にはそもそも小節という概念がないので、わりと自由なところで区切りが来たり、音階も独特である。
これをちゃんと習得したいなとは思っているんだけど、長唄などの楽譜的なやつを見てもさっぱり解らず、西洋風の楽譜にすると変な感じになるし、難しいのである。

長唄の稽古本の見本
↓こちらからお借りしました。
https://www.wagakki-ichiba.com/fuzoku20060ngy.html

日本の音楽って基本的に口承なのね。

なお、西洋音楽も大昔は小節という概念がない時代もあったけど、だんだんと今の形になっていった。
昔は録音技術もなかったので、作曲家が作った音楽を正確に再現できるように “楽譜” が進化してきて、形式も決まって来たということだ。

クラシック音楽とは、楽譜通りに音楽を再現するものだという言い方を聞いたことがある。

そのような経緯を持つ西洋の音楽と日本の音楽は概念からして違っていて面白い。

和歌や漢詩を読むための独特の節回しなどは、お経にも近い感じがするしね。

誰が作ったのかわからないけど、誰でも知っているような節回しってどんな民族にもあるかと思うけど、実は千年の歴史があったり、反対に意外と新しいものだったり、掘っていくと楽しいのだけど、体力がいるのでそれはまた今度。

◎小倉百人一首について

今回は歌詞として、小倉百人一首の中から私の推しを選んで歌ってみた。

自作の歌でもよかったんだけど、なんかピンと来ず。

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久方の光のどけき春の日に
静心なく花の散るらむ

光がのどかな春の日なのに、花は落ち着くことなく散っている。

詠み人の紀友則は平安時代の官人。
役人としては大した記録がなく、歌人としての印象が大きい。
なので、どんな人なのかは彼が詠んだ歌からのみ覗い知れる。

けど、歌って人格と直結しないからね。
紀友則がどんな人で、この歌を詠んだ時はどんな状況だったのか…などは想像するしかない。

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足引きの山鳥の尾のしだり尾の
ながながし夜をひとりかもねむ

山鳥の長い尾のように長い夜を独りで寝るのか…

詠み人の柿本人麿は飛鳥時代の歌人
謎多き歌の聖である。

万葉集にも多くの歌を残しており、かなり位の高い人たちとも交流があったことが推測されるが、なぜか史書にその名は出てこない。
歌集では燦然と輝く大スターなのに、誰なのかわからない…それが柿本人麿なのである。

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奥山に紅葉ふみ分けなく鹿の
聲(こえ)きく時ぞ秋は悲しき

これは意訳を書かなくても意味がわかる歌だね。
この歌の詠み人とされる猿丸太夫も謎だらけの歌人である。生没年不明。

これと柿本人麿の歌を並べたところで、気が付く人もいるかもしれない。

そう、私はこれを読んでいる。

私自身はこの説を全面的に支持してるわけでもないんだけど、すごく面白いし、より人間的と感じている。

我々は、過去のことは歴史書から読み解くしかないわけだけど、その向こうに人間がいたことを忘れがちである。

昔のことは誰にもわからないので正解は永遠に闇の中だ。
柔軟に、どんなことでも起こりうると思って考えられるようになりたい。

『水底の歌』は評論形式で学術的だけど、とても分かりやすくて読みやすく、そしてすごく面白い。
私は飛鳥時代フェチなのでかなり萌える。

『猿丸幻視行』は、物語形式で歴史の謎を解くサスペンスになっている。
暗号好きの人にも超おすすめ。いろは歌の暗号なども出て来る。
少しファンタジー要素もあり。

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瀬を早み岩にせかるる瀧川の
われても末に逢はむとぞ思ふ

早い流れで二つに分かれた川がいつしか再び合流するように、あなたと別れても再び逢いたいと思う。

詠み人の崇徳院はつまり崇徳天皇。第75代、平安時代の天皇である。
満3歳で即位、22歳で上皇となった。

崇徳天皇といえば日本三大怨霊の一人である。
※他の2人は、菅原道真と平将門。

幼いころから権力争いに巻き込まれ、天皇に担ぎ上げられたものの失脚し、挙句には流刑となり仏教にすがるもそれも取り上げられて、ついには魔王になる宣言をする…。
そのまま鬼のような姿となり流刑地にて崩御した。

現代の追放系ファンタジーもびっくりの人生なのである。

そんな崇徳天皇が没頭していたのが、和歌の世界。

「瀬を早み~」はロマンチックでエモーショナル、そしてちょっと怖い。

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柿本人麿と猿丸太夫も実は怨霊だったりすると、この歌、怨霊強めw
でも大丈夫。なはず。

◎そのほかの推し歌は…

歌に入れられなかったけど、好きなやつまだまだある。

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天の原ふりさけ見れば春日なる
みかさの山に出でし月かも

空を仰ぎ見れば月が。
あれは故郷の春日の三笠の山にも昇った月なのだな。

詠み人の阿倍仲麻呂を人生を知ると、この歌が胸にずどんと来る。

彼が生きたのは奈良時代。
十九歳で遣唐留学生となり、中国へ渡る。

それからいろいろあって、一度も日本に帰ることができずに73歳でその生涯を終える。

この歌は、遠い異国の地で故郷を想って詠んだ歌とされる。

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花の色は移りにけりな徒(いたずら)に
我が身世にふるながめせしまに

花の色はあせてしまった。
むなしく私がこの世で過ごすのを眺めている間に。

小野小町の歌である。
平安時代の歌人。美人の代名詞でもある。

彼女の作品は残っているが、彼女が何者であったのかの資料はない。

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天つ風雲のかよひぢ吹きとぢよ
をとめの姿しばし留めむ

「をとめ」は天女たちのことらしい。
この歌は、「五節の舞」という女性が舞う雅楽の演目の席で歌われたとされる。

詠み人の僧正遍昭は平安時代の僧
元は官人であったが、仁明天皇の崩御により出家しお坊さんになった。

この歌は、出家する前のものらしい。

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百人一首の歌はどれも素晴らしく、現代の私が読んでも共感できるものが多い。
今も昔も人の心は変わらないんだなーと思うわけなのだ。

最近、娘(3歳)に坊主めくりを仕込んだら、どハマりしてしまって、毎日付き合わされているのだけど、もう一度、百人一首にどっぷり入ってみてもいいかもしんない。

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