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[ショートショート:SF] 人類と赤い傘 | シロクマ文芸部
赤い傘が人類を覆ったのは西暦5076年のことだった。
人間によって完全にコントロールされた天候はその日、空と地上の間に遮るものが一つもない快晴だったと記録されている。
空に広がる赤い傘を始めて見た人類が何を思ったのかは今となっては知る術もない。
日夜問わずはっきりと目視できる巨大な傘を、人類は畏敬の念を持って見つめたことであろう。
赤い傘とは何なのか。その出現から千年の時を経てもいまだによくわかっていない。
はっきりと目で見えるのだが、それが実在するのか否か、それすらもわかっていないのだ。
赤い傘はずっとそこにある。
人類は好傘派と嫌傘派に二分された。
好傘派はひたすら傘を神格化し、自分たちも同じような赤い傘を持って自らの信仰を示した。
嫌傘派は傘そのものを悪魔と解釈し、どんなに土砂釣りでも傘をささないことで信念を貫いた。
僕のような中立の立場の者もいるにはいるが少数派だった。
中立とは言っても、僕はどちらかと言うと嫌傘派寄りの中立だった。それに対して、僕の恋人は好傘寄りの中立派だった。
まあそれでも、少しの考え方の違いはあれど、僕らはうまくいっていた。
ところが僕の恋人は、サークルに出入りするようになってからすっかり好傘派に傾いてしまったのだ。
信仰の違いによる差別はこの世にはないとされていたが、実際のところ差別は存在した。
僕は中立ではあったけど、好傘派の考え方はどうもしっくりこないところがあった。
だって。
あんな得体の知れないものを神だなんてとても思えないではないか。
まだ悪魔だと言う方が納得できるのだった。
「君の考え方は偏っているよ」
僕の恋人は常にそう言って、僕を改心させようとしていた。
それがどうにも鬱陶しくてしかたがなかったけど、彼の考えを尊重したいと言う思いから、僕は何も言い返せずにいた。
だって、僕の考えを言ってしまえば、彼を否定することになってしまうから。
そんな僕の想いを知ってか知らずか、僕の恋人は赤い傘の素晴らしさを毎日語り続けていた。
「傘を悪いものだと考えることは冒瀆だよ。あれは我々を見守るために姿を見せた神の意思の具現化だろう」
「長いこと何もしてきてないのだから、あれの目論見なんてわからないのじゃないか?」
「何もしてきていないからと言って、何者でもないということはないんだよ」
こんな感じでらちが明かないので、いつしか僕は彼との会話で傘のことを話題にすることを避けるようになってしまった。
そんなある日だった。
変化は突然訪れた。
これまで千年の間、何の変化も見せて来なかった赤い傘が初めて動きを見せたのだ。
それは小さな玉だった。傘の下にいくつか、肉眼でギリギリ見える程度の大きさの玉。
まあ、小さな玉と言っても傘は遥か上空にあるので、そのひとつひとつはビルくらいの大きさはあるだろう。
そんなものが突然出現したのだった。玉も傘と同じように真っ赤な色をしていた。
好傘派はこれを祝福の前兆だと言い、嫌傘派は何かの兵器かもしれないと言った。
好傘派は外に出て毎日赤い傘と赤い玉を見上げ祈りをささげた。
嫌傘派は地下のシェルターに逃げ込み地上には出て来なくなった。
僕は恋人が祈りの儀式に出かけてしまった後の、がらんとした部屋でひとり、窓越しに真っ赤な傘と玉を見上げて過ごした。
そうして、じっと見ていると、玉の中で何かが蠢いている気がしてきた。
引き出しの奥から双眼鏡を持ち出してもっとよく見てると、やはり玉の中には何かいるように見えた。
僕は急に嫌な予感がして、恋人を連れ戻さなければと思った。
僕は外に飛び出し、恋人の居場所を探して走り回った。
恋人は近所の公園で仲間たちと瞑想体験をしているところだった。
赤い傘と一体となれるとかいうあれだ。
「何か嫌な予感がする。家に帰ろう」
僕がそう言っても彼はその場から離れようとはしなかった。
「見ろ!」
その時、誰かが空を指さして叫んだ。
「生まれるぞ!」
その場にいた好傘派の人々は一斉に立ち上がって空を見上げた。
気が付くと僕もそうしていた。
見上げた空では、赤い傘の下の真っ赤な球が次々とはじけて、そこから何かがバラバラと落ちて来てるようだった。
かろうじて見えるほどの大きさだ。
僕は恐ろしくなって恋人の手を引っ張ったが、彼は興奮し空に向かって両手を広げて微動だにしなかった。
やがて、玉から落ちて来ているものが、巨大な芋虫のようなものであることが分かった。
芋虫も真っ赤な色をしていた。
芋虫は地面に激突するように落ちて来ると、のたうちまわって暴れた。
車ほどもある巨大な芋虫だった。
落下する芋虫によって、街は破壊された。
何人もの人々が下敷きになって死んだ。
僕たちがいる公園は幸い高い木に覆われていたので芋虫の直撃を避けることができた。
こんな事態になっても恋人は歓喜の声を上げ神の祝福を喜んでいた。
ああ、ダメだ。もう完全に狂っている…。僕の恋人は狂ってしまっていた。
僕は死を覚悟してその場に留まることにした。
こうなったら僕は、この気が触れた恋人と末路を迎えよう。
公園の周りには何匹もの巨大な芋虫がのたうち回り奇怪な泣き声を発していた。
僕にはそれが苦しんでいるように見えた。
恋人は興奮して一番近くの芋虫に向かって走り出した。
僕は彼の後を追った。
そうして彼が芋虫の目の前まで到着したと同時に、噴射が始まった。
芋虫の口だか尻だか、そのどちらかの器官から、無数の粒上のネトネトした物体が飛び出して来た。
それらは周りにいた人間や植物のあちこちに貼りついた。
僕や恋人の体にも貼りついた。
そこからジワジワと何が体の中に入り込んでくるのが感じられた。
焦って剥がそうとしたができなかった。
僕らはたちまち得体の知れない何かに浸食されて行った。
そして気が付いた時には遅かった。
この惑星の生き物はあの赤い傘の苗床になったのだ。
これから千年かけて僕らは傘になる。意識はここに残したままで、また新たな苗床を探して旅をするのだろう。
そのころ、僕らはまだ人間だと言えるだろうか。
僕の隣でゆっくりと蝕まれている恋人が、今、この状況をどう思っているのか。僕にはもう知ることはできないけれど、幸せに思っているといいなと、それだけを願うのであった。
(おしまい)
小牧幸助さんの『シロクマ文芸部』に参加します。
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