【企画参加】私の理解はしてほしいこと|親友の話
今回は、山根あきらさんのこちらの企画へ参加させていただきます。
「#理解はしてほしいこと(2022 /8 /28 まで)」
山根さんの企画の趣旨は、
共感は出来なくても、理解はしてほしい気持ち
私にとっての「理解はしてほしいこと」が頭の中にあっても表現することにブレーキがかかり、参加するのは無理かなと思っていました。
ですが、山根さんのまとめ記事の中でご紹介されていた、春〜と共に🌸さんの作品を読んだところ私と似たご経験がある事に驚き、書いてみようと言う気持ちにさせていただきました。
親友のこと
生まれた時から幼馴染で、幼稚園から高校まで同じ学校へ通った仲。
クラスが別になり、互いに新しい友人ができてもなぜか私達の縁は切れることがなく、休みの日には互いの部屋で音楽を聞いたり、本や漫画の話をしたり、時に恋愛の話をしたり、何気ない話をしながらその時間の居心地が良く、一緒にいることが当たり前のような存在。
私にとっていつしか親友とはこんな感じなのかも、と思うようになり、彼女も同じように思っていてくれたかもしれません。
高校を卒業してからの進路はそれぞれ全く別の道。
会うことも距離的に難しくなり、当時携帯電話がなくポケベル程度の時代ですから、私達はマメにお手紙のやり取りをするほど仲が良かった。
そんな親友はお花が好きで、念願のお花屋さんへ就職、私は看護師として社会人のスタートを切り忙しい日々を送ることに。
22歳夏、社会人となって初めてのお盆休み、親友と私、もう2人の友人の4人で居酒屋へ行き、楽しいひと時を過ごして一人暮らしをしていた友人宅へ泊まったのを今も覚えています。
親友は翌日も仕事のため、皆んなが寝ている早朝、たまたま目を覚ました私に笑顔で「またね」そう言って出勤しました。
その年の秋、日勤から帰宅した私に一本の電話、それは親友が乗った車と前方不注意のトラックが衝突し亡くなったとの知らせでした。
その日のこと、その時間、夕陽がはいった部屋、電話をくれた姉の声、時が止まったように真っ白な頭の中、その時のことを今も覚えています。
どんなに時が経っても、忘れられない日。
「またね」そう言った彼女の約束は永遠に無くなった日。
彼女は22歳のまま、
私は1年ずつ歳を重ね今は52歳。
命日に、彼女の好きだった淡く優しい色のお花を毎年届けています。彼女のご両親と会話をする私は、今もあの日のことを思い出して涙が溢れてきます。
これはきっと、何年経っても癒されない私の人生の一コマ。とても大切な人生の1ページ。
共感はされなくても、私の親友はただ一人。
友人はいても、親友のいない私のことを理解はしてほしい。
この話を初めてnoteに書きました。
書いてみよう、、何度か思いながら
なかなか勇気が出ず、書いては消してを繰り返していました。
この機会を下さった山根さんと春〜と共にさんへ
感謝いたします。
ありがとうございました。
そのお気持ちに感謝します😊