わたしを支えてくれることば
勉強でも、仕事でも、人間関係でも。
どんな場面であっても、わたしはわたし自身を支えてくれることばを持っている。
一般的に言うと、”座右の銘”とも言うものだろうか。
デジタル大辞泉ではこのように記してあった。方向性としてはその通りなのだが、何となく、”戒め”ではないと感じているから、ここでは”座右の銘”ではなく、”支えてくれることば”という表現にしておきたい。
そのことばというのは、高校3年生の大学受験を控えた時期に大切な親友であり、戦友であり、理解者である同級生からもらったものである。
そのひとは、受験を前に怖気づいたわたしに、こう言ってくれた。
「厳然たる事実が自負を与える」
目標に向かって重ねた時間そのものは、確固たる事実で、その時間に素直に向き合い、励んでいれば、その事実自体が自信にも誇りにもなる。その事実は誰かと比べるものではない。
数年後に聞いた話によると、あまり深く考えて言った言葉ではなく、「受験というものに真剣に向き合っているのだから、自信を持って、恐れなくていいよ。」と、ただ言いたかったのらしい。
言われた当時は半分分かったような、分かりきれていないような、そんな感覚だったように思う。大学生に入って自分との向き合い方が変わる中で、このことばが持つ意味を知っていった。
何がしたいのか、誰のためなのか、どうありたいのか、それらを考えて過ごした大学の4年間という時間は、わたしにとって、「厳然たる事実」を作り、「自負」という言葉の意味を知る時間であった。
社会人になって早4年目。
看護師として過ごした時間、保健師として過ごしている時間はそれぞれに密度が濃すぎるくらいで、1年があっという間である。何が正解だったのか分からないことも多い一方で、正解かも分からないことに責任を持たなければならない。その葛藤を日々繰り返しては、めげそうになることもある。
そんなときふと思い出して支えてくれるのは、あのことばである。
分らないなりに向き合い、悩み、考え、伝える。こうして過ごす時間は、未来の自分が過去を振り返ったときに、「厳然たる事実」となり、その時の自分を支える「自負」になるに違いないと。
何事も、”何となく”ではなく、理由を持って、最善のことができる自分でありたい。そう思って背筋を伸ばす瞬間をもわたしにくれた、このことばは、これから先もずっとわたしを支えてくれるのだろう。
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