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勘違いでライターになってから、1年が経った。


この4月で私は、社会人3年目に突入した。
もしも会社員をしていたら、後輩なんかもできちゃっていたのかもしれない。3年目ともなると、もういい加減「新人だから」という言い訳は通用しないはずだ。

そしてふと、もう1つ私がもっていたはずの肩書きが、いつの間にかなくなっているのを感じる。

「元女子サッカー選手」というポジション。

気がつけば、サッカー選手だったからもらえていた仕事はどこにもなく、それで仕事がもらえる期間は過ぎていたのだなという実感が沸いてきた。

さみしいか?というと、そういうわけでもない。私自身は実際そこまでの選手ではなかったから、そういった仕事に終わりがくることはわかっていたのかもしれない。

それでも、サッカー選手だったからもらえた仕事には、感謝をしている。
なんてったって、その期間に盛大に勘違いをさせてもらったおかげで、今も私は文章を書いているのだから。


サポーターの皆さまのおかげで


ありがたいことに、私は引退したすぐ直後に、初めてライターとしてのお仕事をいただいた。

そこで私は、たくさんの方に応援してもらい、文章を褒めてもらった。
選手のとき以上に声をかけられるようになり、
選手のとき以上にユニフォームも買っていただいた。

褒められなれていない私は、
そこで、華麗に勘違いをしたのだ。

私、天才かもしれない。
これから先、私は文章で生きていくのだろうな。
文章を書くことが天職なんだ!

……まあさすがに、
そんな幻想はすぐ砕け散ったが。

それでも、恥ずかしくとも一瞬でもそう思ったのは間違いないし、このときに、細胞の中にまでしっかりと「お仕事になっても、書くことは楽しい」と刷り込んでもらったのだ。


このときのお仕事は、
サッカー選手だったからいただいた仕事だったし、「サッカー選手だったから」たくさんの反応をいただけたのだと今はよくわかる。

でも、初めてのお仕事で、自分の力だけでは届かない人にまで自分の文章を読んでもらい、直接反応をもらえるという経験がなかったら。

この道に進んでいたかどうかはわからない。

あのとき、サポーターの皆さまに「文章を仕事にするの、ありじゃない?」と思わせてもらったから、今の私がいるのだ。


勘違いを片手にいざ進め


そして、その数カ月後。
会社を辞めることになったとき。

サッカー選手だったからいただいたお仕事と
サッカー選手だったから得ることのできた自信だけを手にして、私は、そのままフリーのライターになった。

失業保険をもらえる期間が終わり、
仕事として動き始めたのが、ちょうど1年前の4月だった。


そして、少しずつ、少しずつ
サッカー選手だったから得られていたお仕事や評価、ついでになけなしの貯金も、私の周りから消えていった。

「サッカー選手だったから」
という言葉の効力が薄れたとき
私はライターとしての技術をほとんど持ち合わせていなかった。



今振り返れば、そこからは
サッカーをやっていたという経歴だけを掲げて
必死にもがいていた1年間だったなと思う。

その経験を活かせるほどの技術もないのに
それでも、他に主張すべきものもなくて。

私は何がしたいのだと改めて迷い
掴んだものを自ら手放しそうにもなりながら
辛うじて、私は文章を書いて生きていた。


この1年間で、勘違いそのものはなくなったけど。

勘違いをした経験は、
「今はできなくても、きっと私って、まだやれるよね」と、何かを選択し、続けるうえでの後押しをしてくれていたように思う。


そしてまた、4月がきた


先日、新たなお仕事の契約をいただくことができた。

軽い面接で聞かれたのは、主にこの1年のことだった。
「これまで何を書いてきたのか」
「どんな記事が得意なのか」

そして、テスト記事が無事校了となり、
ありがたいことに、読者さんからも、取材をした方からも、そしてクライアントさんからも良い反応をいただき、私は契約をいただくことができた。


それで、ひさしぶりに思い出したのだ。
この高揚感を。
私が勘違いした、あの感覚を。

でも、今回は、「サッカー選手だったから」いただいた仕事でも、「サッカー選手だったから」もらえた評価でもない。
そのことを、少しだけうれしく思った。

よく頑張ったと、
自分を褒め、認めてあげたい。



……と、ここでキリよく終わろうかと思ったけれど
もう一つ。私は私に言いたいことがある。


そんな風にすこーしだけ成長した自分に対して
「すばらしいよ」というのと同時に
「だからなんだ」ともいえる自分でもいたいと思うのだ。


この1年間、何の技術も肩書きもない私を
拾ってくれた人がいる。
育ててくれた人がいる。
応援し、支えてくれた人がいる。


サッカーをやめて「何もない」を感じる時間は、人生の中でもきっと珍しく、貴重な時間だったのではないか。

その期間で私は、1番大切なことを教えてもらったはずだ。

外側にある情報だけで、人を判断せず
その人自身をみる。
その人自身として自分が見られたときに
誇れる自分でいる。

だから、
栄光も、お金も、肩書きも
技術も、有名さも。

それらのものに対して、
すばらしいと思うだけでなく
「だからなんだ」と言い続けられる私でいたい。

何もない自分を見てくれた人がいたことに
感謝の気持ちを忘れたくない。

たくさんの外側がある人のことも
内側のその人を見られる人でありたい。


今の私はもう、「サッカー選手だったから」という理由だけで仕事をもらうことは、ほとんどないだろう。

けれど、1年経ったから
「サッカー選手だった」経験が
仕事をいただく理由ではなく
仕事をするうえでの武器になると知った。


私が文章を仕事にしようと決めた勘違いにも。
勘違いの経験を片手にもがいた1年にも。そのとき支えてくれた全ての人に感謝をしながら、

これからまた、新たな経験を作っていきたい。


そんなことを思った4月。
初心は忘れるから、時折このnoteを読み返そうと思います。


まぁ、技術にしても。
私的にはもう少し調子に乗らせてほしかったですが。そんな暇もなく課題やら失敗やらが積み重なるわけです。

神様が「ちょっと褒められたからっていい気になるな」って、あの手この手で伝えてくる。
もうわかったって。

だから、満足なんてしていられないんです。
やっとスタートなんです。

まだまだまだまだ、言葉と向き合っていきたいと思います。

5月も楽しんでいきましょうね。
感謝!!!

だんご

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