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ライター業で辛いことも割り切れる

私の人生は、現在80歳を超えた母が「若い頃のあんたは本当に苦労したよね」と言う程度にはいろいろあった。

特に、父の故郷でもある現在の地に実家が移ってからは、本当にろくなことがなかったような気がする。それがようやく落ち着いて穏やかな生活になったのは40代後半だ。

長年学校でも会社でも義実家でもボコボコにされ続けたせいか、ちょっとやそっと叩かれただけでは動じないいやなおばちゃんになった(笑)

でも、結果的にはそれが今のライター業で大いに生きている。どれほどクライアントに叩かれてても、事務的に割り切ることができる自分が形成されていることに気づいたのだ。

そこで、今回はこれまでの人生がどんな経験をしたかをいくつか語ろう。かなり怨念がこもっているので、少々長くなるのはご容赦いただきたい。

エピソード1:「よそもん」ゆえに小中時代は壮絶ないじめに遭っていた

小学校低学年で東京から現在地に引っ越してきた私を待っていたのは、「東京」から来た「よそもん」をよく思わない同級生からの壮絶ないじめだった。

どうやら、私がその土地特有のなまりや方言がない標準語をしゃべっていたことが気に障ったようだ。今ならそれが地方にありがちな「都会コンプレックス」であるとわかるが、当時は幼く、それを知る余地もなかった。

殴る蹴るの暴力はもちろん、仲間外れや持ち物がなくなることもしょっちゅう。なくなったものはたいてい汚いどぶなどに投げ込まれてひどい状態になっていった。「ライフ」というマンガを地で行くようないじめと言えばわかりやすいだろう。

この地は、昔から「よそ者」にはとことん冷たい土地だ。その証拠に、よその地で生まれ育った母も近所の人によくいじめられていた。大人がそんなだから子どもも平気でよそ者をいじめる土壌ができていたのだろう。

いじめを受けた際にもちろんかばってくれる子もいたが、そのような子は私の巻き添えでいじめられ、私の周りに味方は本当に少なかった。

そういえば、教科書をビリビリに破かれたこともあったな。その時はさすがに腹が立って、そいつの教科書をビリビリに破き返したけど。

高学年の頃にはそこに教師まで加担し、学校に行くこと自体が地獄だった。でも、父親は「そんなことで学校を休むなんて根性がない」という根性論のマッチョ。到底逃げるという選択肢を選べなかった。

もし不登校になれば、父が決まり文句の「根性を叩きなおしてやる」を言いながら私をボコボコに殴っていただろう。その父親の鉄拳に比べれば、学校のいじめ地獄の方がまだましだった。いやホントに。

※父の名誉のために言えば、父はいじめた相手の家に行って抗議するような子煩悩でもあった。ただ、それと私が不登校になることとは分けて考えていた節がある。

小学校から持ちあがりの中学でも、同じようにいじめは続いた。理不尽な理由で学級裁判の被告になったこともある。でも、その頃にはだいぶ耐性もできていたので、小学校時代よりはダメージがなかったことを覚えている。

そんな中、私はレベルの高い高校に行けばそれがなくなると知り、かなり勉強を頑張った。たぶんあの時が人生で一番勉強したと思う。

その甲斐あっていじめがほとんどない高校に合格し、高校以降就職するまでは比較的穏やかな生活を手に入れた。

今思えば、よくもその状態で特におかしくもならず高校入学まで生き延びてきたものだ。家庭環境もなかなかにハードで逃げ道がなかったからこそ、強くなるしかなかったのかもしれない。

エピソード2:新卒で配属された職場で壮絶ないじめとパワハラ、セクハラに遭った

次に経験した地獄は、短大卒業後新卒で配属された職場だ。

私はおとなしい顔をしているのにはっきりとものを言う性格が災いし、入社早々一部の先輩からにらまれてしまった。そこは私自身もっとうまく立ち回ればよかったな……と反省する部分だ。

しかし、もっとひどい状態になったのは、新しく来た40代後半の男性が私の上司になった後だ。

その上司は転勤早々私に色目を使い、それをやり過ごしていたら露骨なセクハラに発展した。私だけその上司と夜中まで残ることを命じられ、上司のなめるような視線を受けながら仕事をする羽目になったのだ。

上司とはいえ、若い身空で40代の既婚のおっさんに食われる気持ちはつゆほどなく、毅然とした態度で拒絶の姿勢を貫いていた。中途半端な態度をとると体に触られたからだ。

それが気に入らなかったのだろう。今度は権力をかさに着たパワハラが始まり、あろうことか女子社員に根も葉もない私のうわさを流して私を孤立させる行動に出た。

職場で2番目に偉い人だった上司に逆らえる人はほとんどいない。陰でこっそり応援してくれる人はいたが、誰も表立って味方になってはくれなかった。あの頃は本当に孤独だったな……(遠い目)

その後新しく転勤してきた上司が気づいて対処してくれなかったら、私はそのセクハラ上司に食われていたに違いない。

だから、30年以上経った今もその人に向かって心の中で拝んでいる。

今思えば、すんでのところで救われた私は非常に運がよかった。しかしそのおかげで心に深いトラウマが生じ、あれから30年以上たったつい最近まで、その職場のそばを通ると気持ち悪くなる状態に陥ったことを付け加えておこう。

エピソード3:義実家の嫁いびりもなかなか壮絶だった。

結婚した夫の実家でもなかなか壮絶な経験をしている。どこまで壮絶かと言えば、「〇家の跡取り」としての「帝王教育」を受けてきた夫が自分の実家より私の実家に近い場所に家を建てる程度。つまり、義実家の洗脳に近い跡取りの呪いが解けるくらいには嫁いびりがすごかったということだ。

でも、これは他のお嫁さんも経験している程度の嫁いびりかもしれない。嫁姑についてお嫁さんの立場について聞いたところ、私と全く同じ経験をしている人が3人もいたからだ。そんな偶然の一致ってあるんですね……びっくりだわ。どれだけみんな鬼舅姑なんだ。

ちなみに、その記事はこちら。↓

私自身はこの記事に書いた嫁いびりを全部経験ずみ。

しかし、私もその頃にはボコボコにされることにかなり耐性ができており、小中時代や新卒時代よりもダメージが少なかった。

でも……自身も将来姑になるかもしれない私は、あまり息子の妻に関わりたくない。姑のように積極的にいじめたりはしないが、ちょっとした言動が「いじめ」と取られて関係がこじれるかもしれないので。

うーん……それはそれで難しそうな気がする。

エピソード4:再び穏やかな日々を手に入れたとたん厄介な病を抱える

そんな日々も今は昔。小中学校の同級生や担任、職場のセクハラ上司ともすっぱり縁が切れ、あれほどマッチョだった父親も、私をこれでもかといじめた姑も、今は人が変わったように穏やかになっている。

彼らが「キレる老人」など、逆の方向に変わらなくて本当によかった……どうかそのまま人生の最期を迎えてほしい。私の心身の平穏のために。

そんなわけで、50歳を目前にしてようやく穏やかな日々が訪れたのはいいんだが、そのとたんに難治性の病気や更年期障害やらが一挙に押し寄せ、私の体はボロボロだ。長年のストレスが原因でそうなった可能性がある。私の主治医がそれを指摘しているのだからたぶん間違いないだろう。

また、日ごろの運動不足がたたって膝変形関節症の兆しまであり、「これ、かなりまずい状態だよね」と日々戦々恐々としている。うーん、年を取ってからこんなに大きなダメージが来るとは思わなんだ。ストレスが体に与える悪影響の大きさをリアルタイムで実感している。

これまでのひどい経験がライターの仕事に生きている…決していいことじゃないんだけど

前述の体調不良につながった理不尽な経験はまだまだたくさんあるが、全部書くときりがないのでこの辺で終了しておく。

しかし、1つだけよかったのは、ライターになってからその経験が生きていることだ。いや、それは決していいことではないんだけど。

そのおかげで、クライアントや編集者にどれほど変な理由で赤を入れられようが、どれほどひどい言葉を投げつけられようが、不思議なくらい心穏やかに対応できる自分がいる。

この4年間ずっと、若い頃の自分だったらキレたであろうケースも多々あったが、今の私はどんな言葉もなんとなくスルーできる力が身についたようだ。うん。これぞ怪我の功名。

確かにひどい言葉を投げるクライアントはいる。でも、世の中にはもっと理不尽な理由でこちらをひどい目に遭わせる人などいくらでもいるのも事実だ。人生なんてホント理不尽なことだらけだ。

そのことを身をもって知っている私は、ひどい対応をされても「ああまたか」とため息をつく程度の憂鬱で済ませることができる。

どうせ若い頃から思うようにならなかった人生なのだから、そのような人生となんとか折り合いをつけて前向きに生きていくしかない。その元気もないなら十分な休養を取り、前向きな気持ちになるまで待てばいい。と思っているのだ。

そのような心境に至ることができたのも、これまでの苦い経験の賜物だろう。本当にろくなことがなかった前半生だが、そこから何かを学習する能力があった自分に乾杯(笑)。

もっとも、あまりに対応がひどい場合は普通に異議を唱えて話し合い、こちらの言い分をしっかり伝えてはいる。それでも改善が見られないようならあっさりさよならしている。

それがフリーランスという、文字通り自由な立場のいい面だと思う。(安定さはほぼゼロだけど)

フリーランスは、「やめるのも復職するのも簡単」という大きなメリットをもっと積極的に利用していいのではないだろうか。

フリーランスは傷ついた人が逃げる道や復活のチャンスが多い仕事だ

私が思うに、フリーランスには逃げ道が多く、逃げた後復活するチャンスも同じくらい多い。

だから、諸々の理由で継続が難しい場合は一度仕事から離脱し、また元気になったら戻ってくればいい。ライター業はある程度の実績があれば一定の需要があり、復職後に再び前と同じレベルまで戻るのはそう難しくはないと思う。

私が経済的にそれができる恵まれた立場だからこそ言えることだが、フリーランスがいったん仕事から離脱するのは決して悪いことではないし、負い目を感じることもない。休養の間に次の手を考え、復職にそなえればいいと思う。

仕事に穴を空けないために潔く休むことも必要

今とてもつらい状況に置かれている人はそんなことを考える余裕もないだろう。でも、そんな状態ではよい仕事ができるはずもなく、ますます状況を悪くするばかりだ。

私自身体調が悪いのに無理を重ねた結果、仕事にほころびが生じて多方面に迷惑をかけてきたことは多い。その反省から、休めるときは休み、中途半端に仕事をしないことも必要だと痛感している。

万が一の時は、進行中の仕事に支障を生じさせないためにも、自分の代わりを早めに探してもらう必要がある。それもまた、今関わっている仕事への大きな貢献だ。

人の心情にそういう考え方を入れるのもなんだが、そういう観点からも休養はフリーランスで仕事をする上で必要不可欠だと思う。変に焦ってよくない状態で仕事をされては、取引先だって困ってしまう。

私がクライアントなら、不調でクオリティの低い仕事をされるよりも休んでもらい、また戻ってきた後いい仕事をしてくれる方がよほどありがたい。(そう思う私は情がない人間だろうか)

そもそも、ライターの代わりなど掃いて捨てるほどいるのだから、自分一人で重荷を背負うことはない。それよりもプロジェクトに穴を空けないことの方がよっぽど大事ではないか?

自分がクライアントの立場ならどう思うか?と考えれば、おのずとどうすればいいかはわかるはずだ。

私もここのところ心身の不調が続いているので、これは自分への戒めでもある。いよいよ行き詰まったら完全休養を視野に入れた方がいいかもしれない。

そんな風に冷静に物事を考えられるようになったのも、いくつも辛い経験を重ねた結果得られた心境だと思う。

で、強引にまとめ。

ライターの仕事に限らず、人生のどんな局面でも辛い時ほど人や物事に対してドライになり、事務的に割り切って淡々と物事を進めていくのも自分を守るためのひとつの処世術だ。それがわかっただけでも、これまでの辛い経験は無駄ではなかったと思っている。

……うーん。なんかうまくまとまらないラストになったけど、ここで強引に終わらせてしまおう。遅筆の私がこれを2時間以内で5,000文字の文章を書けるとは驚いたが、まあ、そういう時もあるということで(笑)。


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