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子育てに正解などない

子育てが始まると、突然周囲に「ご意見番」が増える。

「ご意見番」とは、自分の育児経験や保母・教師経験、ちょっと聞きかじったメディア情報だけを元に、したり顔で「これが子育ての正解!」などと説く厄介な人を指す。(最近はそういう人をクソバイザーと呼ぶとか呼ばないとか……)

最近は、私自身もつい口にしたアドバイスがクソバイスになったことがたまに……いや、よくある。まずい。それではかつて辟易させられた「ご意見番」と同じではないか。

というわけで、今回のエントリーでは自らの反省も兼ねつつ、主に祖父母世代に向けて「あなたは若い親を苦しめるご意見番になっていませんか?」と問いかけたい。

善意の「ご意見番(クソバイザー)」ほどタチが悪い

子育て中は私の周りにも「ご意見番」からいわゆるクソバイスを受けて辟易したものだ。

それを大きく分けると以下の2種類となるだろう。

(1)親切心から「アドバイス」をくれる人
(2)粗探しが目的で批判や干渉を行う人

私の拙い経験から言えば、より厄介な「ご意見番」は(1)の人達だ。

(1)の人達には悪気がない。それどころか、本当に相手のためによかれと思って善意の「クソバイス」をくれるので非常に厄介なのだ。

特に私がよく言われたのが以下に挙げる3つの「ご意見」だが、今思えば何一つ役に立たない「クソバイス」だったと言える。

したがって、祖父母世代にはその「ご意見」は「決して子育て世代に言ってはいけない言葉」として心に留めおいてほしい。

1:「子どもは親の作品だよ」は親を追い詰める

実親やその同年代(現在後期高齢者)によく言われた言葉。子育てが終わった今なら鼻で笑いながら否定できるが、経験が浅く迷いも多い子育て中にそんなことわかるわけもない。その言葉にどれほど追い詰められたことか。

当時から「それって子どもに人格がない前提になっているのでは?」といつも感じていたが、今でもその気持ちは変わらない。親の作品として子どもを育てるなんて人権侵害も甚だしい。子どもは親の人形ではない。

したがって、その言葉は禁句だと明言したい。私自身も、口が裂けてもその言葉は言うまいと誓っている。

2:「子育てが辛いと言うな」は虐待の引き金になりかねない

いわゆる母性神話に基づく正真正銘のクソバイスといえよう。

そもそも、自分で歩くことも食べる(飲む)ことすらできない赤ん坊を死なせずに育てることからして重労働だ。

長じれば野生動物の如く本能のまま動きわめき散らす子どもに教養と社会性を身に付けさせる必要まである。それがどれほど難しいことかは実際に子育てした親ならわかるはずだ。

そんな子育ては誰でも辛いに決まっている。(もしそれを否定する人間がいればちょっと体育館の裏に来てもらおう。おばさんがじっくりと理由を聞こうではないか)

なのに、「どの口が言うか?」な(子育てにノータッチの)おじさんばかりか、自らが子育てしてきたおばさんまでがそれを言うのだから全く救いがない。

特に後者からそれを言われた日には、味方と思っていた人から後ろから撃たれたような気分になり、「ブルータス、お前もか?」と叫びながら死亡しそうだ。

子育ての辛さを嘆く愚痴一つも許されぬ親の矛先は、必ず弱い子どもに向く。その先に待っているのが児童虐待であることは言うまでもない。私自身、周囲のそのような声に追い詰められてかなりヤバいところまで行った。

だから、この言葉も子育ての先輩となる年長者が絶対言ってはならない言葉だと断言したい。

3:「今の親は恵まれている」はクソバイス中のクソバイス

実を言えば、この言葉は私もうっかり言いがちだが、絶対言ってはいけないクソバイス中のクソバイスである。

若い親とは生きてきた時代全然が違う。そんなことを言えば「年寄りの苦労自慢」「姑根性も甚だしい」と憎まれるだけだ。相手が子どもやその配偶者であれば、その言葉一つで一生孫の顔が拝めなくなることを覚悟しないといけない。

形は違えど、いつの時代にもその時代なりの子育ての悩みや苦労がある。自分の子育て経験など、今の時代には全くそぐわない。

そんな古臭い子育て経験を振りかざして偉そうに話すのは、ただのクソバイスと心得よ。この言葉は私自身への警告や戒めでもある。

結論:子育てに正解などない

現役子育て世代の「ご意見番」としてクソバイスを発する子育て経験者の多くは、自身の子育てが正解だと思い込んでいる節がある。実際、私が出会ったクソバイスをくれた多くの「ご意見番」がそうであった。

しかし、同年代の親同士でさえ、子育ての流儀は全く違う。子どもの数だけ異なる形の子育てがあり正解などない。というよりは、どれも正解であり不正解でもあるのだ。

私自身がそのことに気づいたのは子どもが全員自立してからだが、今気づいてよかったと思う。少なくとも、自分がおかしいと思った上記のクソバイスは慎めそうだ。

先にも述べたが、これは私自身への戒めでもある。今後また「これはクソバイスでは?」と気づいたことがあれば、また改めて書こうと思っている。

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