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IchigoJamと私の出会い

私がIchigoJamに初めて出会ったのは大阪、あの「悲しい色やね」の舞台である南港でありました。

「ALL ABOUT マイコンBASICマガジンⅡSP in 大阪」というイベントにスタッフとして参加していたとき、物販コーナーにそいつは居たのです。

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「目指すはMSX!」ってキャッチコピーがなかなかインパクト強し。この「MSX」だって若い人には説明が必要な言葉ですよね。ほらそこのお兄さん、いま車の名前だと思ってたでしょう?

いまここでMSXについて語ると横道に逸れ過ぎるので割愛します。要は昔のBASICが使えたパソコンの統一規格的なものだと思っておいてください。

そのイベントの前だったか打ち上げのときだったか記憶があいまいなのですが、なんとそのとき、IchigoJamの生みの親である株式会社jig.jpの福野泰介さんにお会いする機会に恵まれたのですよ。

そのときはIchigoJamに対する知識もなかったのでたいした話も出来ず、いまから思えばちょっと失礼してしまったかもしれません。そんな私に福野さんは名刺の代わりくらいの気持ちだったのでしょうか、下の写真の基盤を私にくださったのです。

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へぇ~これがウワサのIchigoJamなんだ。
しかも「15th anniversary」って、何かこれ限定記念ものっぽい感じが。
じゃあこれ家に帰ったら早速立ち上げてみようっと。

このあたりが何というか、救いようのないアホですよね。

マイコンの部分はおろか部品のひとつも乗っていない基盤だけもらったって何も立ち上がるわけないやん!
買い物しようと町まで出かけたサザエさんと同じくらいのボケっぷりだよ!

でもとりあえずどうしていいのか分からなくて、しばらくの間放置プレイ。

私がこのときRaspberry Pi(Pi STARTER)にハマっていたからというのもあるかも知れませんが、IchigoJamの方は気にしつつも何だか食指が動かなくて、そのまま引き出しの中で置き去りになっていたのですね。

でも「電子工作マガジン」に掲載されているプログラムは圧倒的にIchigoJamで動くものが多いし、何よりこのまま放っておくのは福野さんに申し訳なさ過ぎる…ということで、いただいてからほぼ1年が経過したある日のこと、ついに私は意を決して行動に移すことにしたのでした。

とりあえず分かる人がいるところに行って聞いてみよう。
餅は餅屋、酒は居酒屋。
IchigoJamは…バン屋さんだ!

ちがーう!!

かくして私が向かったのは…

秋葉原のPCNというお店。というか設備?
PCNとは「プログラミング クラブ ネットワーク」の略なんですって。
「IchigoJam」で検索するとよく出てくるお店です。

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当時は秋葉原駅の真横にある長屋のようなパーツ街の中にありました。
いまはもう引っ越しされて違う場所にあるっぽいです。

ここに福野さんからいただいた基盤をお見せし、これを動くようにしたいと相談したところ、必要なパーツ類を販売するのであとはここでハンダ付けなど好きに使って良いとのこと。

いやいやいや!ちょっと待ってよ?
私、ハンダごてなんてほとんど中学校の技術科の授業でしか持ったことなくて、しかもその際に接続部分をハンダの海にしてしまい技術科の点数が付かなくて高校に行けないかもしれないくらいの事態を引き起こしたほど不器用なんだけど、そんな私にIchigoJamが作れるとでも?

「やる気があれば作れます」

PCNの店員さんはそう言いました。
目が笑ってない。
マジもんの戦闘モードや。

加えて説明してくれたところによると、

「ここはあくまで作業場と道具を貸すのみ。ただし分からないことについてはアドバイスする」
「持ち込んだIchigoJamが壊れてもそれは自己責任」
「ただしここで別に完成品を購入して持ち帰るという選択肢もある」

ということでした。

最後の選択肢は魅力的に感じるものの、それでも私は「いまここで作る」の道を選びました。
そう。だって私がIchigoJamやりたいのは福野さんからこれを受け取ったからなのだから、これで作らなかったら何の意味もありません。

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店員さんに自身はほとんどハンダごてを触ったことがないこと、過去に触った技術科の授業で基盤をハンダの海にしたことなどを話しました。
「分からないことはアドバイスする」ったって何も分からないに等しいのだから、ほぼマンツーマンの個別指導みたいなもんです。

かくして私の人生最初(もしかしたら最後)の電子工作が始まりました。

最初の工程は、何とこれが最大の難関なのですがマイコン部分を基盤に実装するところです。

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写真だとあんまし分からないかもですが、何しろすんごく小さな部品なのですよ。このミクロなゲジゲジがマイコンにあたる部分なのだそうで。しかもこれどこかの穴にはまるようにとかなってるわけではないので、位置を合わせて確実に導通するようにハンダを流さなくてはならないのです。
(注:写真は手違いで別の基盤に貼っています。色が違うのはそのため)

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まずはズレないようにルーペで位置を合わせ、テープで仮止め。

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これは「フラックス」と言って、ハンダが確実に導通する部分に流れるように誘導する…というのかな?そういう役目の液体。

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それをこんな風にペタペタと塗ります。そうしてハンダを流すと、割と思った以上にハンダが線に沿ってくっついてくれるのです!

しかしそうは言ってもやはりカンペキに最初から隣同士ハンダがくっつかないというのはムリムリのムリ。くっついちゃったときはどうするかというと「ハンダ吸取器」とゆうのがあって、除去したい部分のハンダを熱した状態にしてこれを使うとその部分のハンダが消えてなくなるのです。すごーい!これあれば私、中学の時に技術科の課題完成させることできてたんじゃね?

この他にもPCNにはハンダ吸取線とかいうアイテムもあって、これらを駆使して何とかマイコンを実装することはできたのでした。

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ちょっとボロっちい仕上がりだけど、自分で作ったパソコンだ!

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これは「テスター」という道具。これを使うと通電してるのか否かが分かるのだそうです。

これが出来ちゃえば、あとの工程は普通にハンダ付けするだけで、ここからは説明書を読めば私でも何とかなりそうなので、ここでようやく店員さんがしばし離れることに。

ハンダ付けの注意点としては、

・抵抗とかは基盤にぶっ刺したらまず足を曲げてしまい、その後ハンダごてで付ける部分を少し熱してからハンダを近づけて付けると上手くいく。余った足は後でニッパで切れば良い。
・ダイオードなど、付ける向きが決まっているものがあるのでそこ注意!この手のはだいたい足が長いほうと短いほうがある。説明書をちゃんと見れば間違わない。

…というあたり。一応このくらいはネットで調べてきたんですよーだ。

実際にはこの後も何度も何度も店員さんを呼び、およそ1時間半くらい格闘した結果、

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でーきたー!!

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ちゃんと動作することを確認。それにしても昔のBASICには「LED」なんて命令なかったよな…(たぶん)。

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何度もお礼の言葉を述べてPCNを後に。こんなド素人でめんどくさい中年オヤジにとても親切に対応してくださり、本当に感謝しています。いまにして思えばあの店員さんは私の背中を押すつもりで、あえて最初に甘い顔を見せなかったんだろうな。もっとも福野さんからいただいたIchigoJamをここに持ち込んだ時点で、私に選択肢はないも同然だったのですけれども。

PCNよありがとう~!!
いつまでもこの地に存在し続けて、電子工作で少年少女に夢を与え続けてください!

かくして自宅に帰り、さぁこれで溜まりに溜まった「電子工作マガジン」のプログラム入力しまくるぞい!と流行る心で入力しはじめたら、大変なことが判明したのでした。それは、

「IchigoJamは4つまでしかプログラムを保存できない」

な、なんだってー!!!


ノストラダムスの大予言にはまだ隠された謎があった!?
人類が滅亡するのは避けられない運命なのか?

それはともかく、プログラムが4つしか保存できなかったら、5つ作ったらひとつ消さなきゃならないやん!
どうすんのさこれ?

かくしてこの問題の解決方法をめぐり、IchigoJamをなめ尽くす旅はまだまだ続きます!続きは来週、イベントレポートを挟んで後半戦をお届けします。


IchigoJamなどのプログラムを打ち込んでみたい方は必見!電波新聞社より年4回発刊しています。電子工作まったくやらない方でもプログラミングに興味ある方であればオススメです。

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なおキーボードや電源等は別途必要なのでそこはご注意を。

こちらは電子工作に自身のある方向け。作り方はここのページが参考に…ならないかも。

こちらはIchigoJamをはじめるのに必要なものがすべて揃っています。

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