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親子という利害関係。あなたの原因不明の痛みや苦しみの源に迫る!


数年前に眼の手術を受けた。途中、麻酔が切れてものすごい激痛に襲われた。人間は痛みとともにかけられた言葉の奴隷になるのだ。
親の言うことを聞かない子供が、叩かれ、恫喝されることによっておとなしくなるのは痛みによる支配によるものだ。

数年前に受けた痛みによる命令とはどんなもにだったのか?
私は、オーディター(聞く人)の力を借りて想起する。
最初に誤解のないように言っておくが、訓練を受けたオーディターは、聞き役に徹し、いかなる意見も誘導も行わない。概念を植え付けることは一切なくクライアントが自分で自分の答えを見つけ出すのを見守る存在だ。

九大病院で失明するかもしれないと言われた眼の手術。左眼の方が重篤だったにもかかわらず、手術中の痛みは確かにあったが耐えることができたように思う。そして右眼の手術では途中で切れた麻酔のせいで、ものすごい激痛に襲われたのだ。「痛いっ!」そう叫ぶ私に先生は、「痛いね。ごめんね。」と謝ってくれたのだ。私は、謝ってくださったので我慢する事にした。先生に手術をしてもらわなければ私は失明するかもという恐れがあった。脂汗、汗びっしょり、耐えて耐えて、長く感じられた時間が過ぎた。そうして、あの時の痛みに向き合った。何度も想起し、痛みによる命令「痛いね。ごめんね。」という言葉に苦しくなった。眼の激痛だけではなく、頭痛、喉の痛み、咳、耳下腺の痛みで意識が朦朧としてくる。
手術中の場面が突然真っ暗になり、その暗闇の中から火の手が上がっている。私は、燃え盛る家の中で逃げ場を見つけられずもがいていた。煙がもうもうと立ち込め、眼が痛くて開けられない。喉は痛みと咳、耳下腺の痛み、頭痛など、手術中に感じた痛みが蘇ってくる。
眼の手術による痛みが、私の過去の痛みを再刺激した事に気がついた。
「痛いね。ごめんね。」という痛みによる命令とはなんだったのか?前世で経験した火事によって、なぜ、自分が死んだのか?を知りたかったんだと気がついた。
追体験することによって、全貌が明らかになっていく。
私は、前世、母に連れられて比叡山にやってきた。母は天台宗の僧侶の愛人となって、私を養うのが目的だったと思っていた。ところが、母は途中から私が邪魔になった。
ある日、母の情事が終わり、お寺から出てくるのを待っていた私に門扉が倒れてきた。そして、下半身が下敷きとなり、腰から下が動けなくなった。
それから私はボロボロの掘っ立て小屋に寝かされ、母は寺の中に住むことになった。
時々、寺男が食べ物を運んでくる。その度に私を犯すのだ。「痛いね。ごめんね。」と言って。
「痛いね。ごめんね。」に応じなければ、私は食べ物を運んでもらえなくなり餓死するかも知れないから我慢する。
下半身麻痺で何も感じないが、膣周辺は無理やり広げられるため皮膚が破れ出血する。痛くなくても、皮膚は切れたら出血する。
やがて、母の命令で寺男によって放火され私は死んだ。
愛されなかった想いは、数百年を経ても疼く。
信じていた母から受けた裏切りの詳細を知ることが出来た事で、私の痛みは消えた。

私は39歳と41歳で子供を産んだ。なぜか、若くして産んだら虐待してしまうかもと考えていたのは、この時の経験が原因だったのかも知れないと思える(笑)
このように、人生の中で腑に落ちない出来事はたくさんあります。原因不明の痛みや苦しみを突き止め、自分を開放しましょう。





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