見出し画像

フェミニズムにおける、ミサンドリー(男性嫌悪)とミソジニー(女性嫌悪、女性蔑視)、ホモソーシャル(同性間の結びつき)の関係

Twitter上で、

寂しいおじさんは、同じように寂しいおじさんと仲良くして欲しい。何故、女性にその寂しさを埋めてもらおうとするのか。おじさん同士で仲良くしたくない理由しか思いつかないなら、それ以上にそんなおじさんと仲良くしたい女性はいないので。諦めて一人でも楽しめる趣味でも見つけたらいいと思う。

という書き込みに対して、

女性に寂しさを埋めて欲しいおじさんばかりではないと思うよ。年齢に関係なく、むしろ女性の寂しさを埋めてあげたいおじさんはいると思う。

と書き込んだら、どんでもない反論の嵐にあった。

男性の「おじさん」に、女性の側が寂しさを埋めて欲しいことなど「絶対にない」という反発と、それについての生理的嫌悪という流れだ。

私は、年齢に関係なく、女性に「寂しさを埋めてもらいたい」という願望はすでにない(きっぱり)。自立した人間同士の成熟した対等な関係を求めるだけだ。

フェミニンな女性に好感をいだく面はあるけどね。キャリア的に働けてる女性にはなお好感をもつが、それは「敬意」を込めてのものである。もとよりそういう女性が「男性社会」で苦労してやってきたことは理解できるし、「専業主婦もひとつの職業」だと思っているが。

男性の同性間でのきずなは絶対に必要だと思うが。

女性に対して、一方的に「寂しさを埋めてあげる」と言い寄る男性(殊に「おじさん」)が迷惑で、怖いのはよくわかる。しかし、対等な形で、男女間が「寂しさを埋めあう」ヘテロソーシャルな関係は当然あり得ると思うし、そこに若い女性と年長の男性との関係も含まれる場合もあり得ると思う。

もとより、男性の方から「先回り」して寂しさを埋めてもらいたがっていると解釈するのはよくないことだとは思う。

それに、「寂しさを男性で埋める必要はない」というが、それでは出会い系や不倫やホストに走る女性をどうみるのか。彼女らは完全に「自分から」男性に寂しさを埋めてもらいたがっている。

彼女らは明らかに家庭や子供や趣味では満たされない空洞を持っているのだ。

そういう女性たちは、女性どうしの友人や趣味や家族では満たされていないのである。フェミストたちはそういう女性たちを実は「見下して」いて、自分らを貴族階級かのように思い込み、いわば「スクールカースト」のように「差別」しているのではないか?

もとより私は下の世代の女性をえり好みしているつもりはない。過去の恋人には完全に同世代の人もいた。「同世代」の女性との「寂しさを埋めあう」関係も十分射程に入れてきたつもりである。

中島みゆきも「誘惑」の中で、

♪さびしかった さびしかった 夢の続きを始めましょう

と歌っている。ここに歌われているのは、「どっちもどっち」の関係性であろう。

今回書き込みをする中で、「ミソジニー」「ミサンドリー」「ホモソーシャル」という概念について勉強することとなった。

「ホモソーシャル」とは、一般にはオジサンの男性同士の同性愛的関係だと誤解されている。"homo"という言葉が誤解されるんだよね。ここでいう"homo"とは、同性どうしの関係という意味であり、女性同士での関係にも適用できる。宝塚とか典型だ。いわゆる「腐女子」どうしの関係とかもね。

「ホモソーシャル」の対義語が「ヘテロソーシャル」。異性との関係。

「ミサンドリー」な関係は、ミソジニーが先行したからということらしいが、これもよくわかんないんだよね。「女体好きの女嫌い(実は女性を管理しようとしている)」ということらしいが、少なくとも私にはそんな意識はないな。

子供のころから、性的な目で見られどおしだったとうことは理解できるけど。

肉体関係は、基本的に精神的なきづなが先行しないと不毛だと思います。「出会い系」の生き様をみると、つくづくそう思います。

わたしのツイートに対して、

「わたしはオジサンなのに、いつも10歳とか20歳とか若い女性とつきあってきました。こんな私をよく選んでくれたものだと思っています。それだけ無害なオジサンということなのかと思います」

というレスも寄せられました。

ケースとしてはいくらでもあると思いますよ。若い女性とオジサンが恋人同士なんて。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?