ウマ娘の精神分析 第21章 ナリタタイシン -いじめを受けて育った、孤独に強いウマ娘-

●実在馬

サラブレッド オス 鹿毛

1990年6月10日-2020年4月13日

北海道新冠町に生まれる。

1993年、ビワハヤヒデをおさえて皐月賞を制覇。ウイニンクチケットを加えて、"BNW"の3強と言われました。

その後も菊花賞、天皇賞(春)でビワハヤヒデと死闘を演じます。

引退後は種牡馬となり、74頭が勝ち馬となりました。

通算成績:15戦4勝(うちGIは皐月賞の1勝のみ)、2着6回(うち2回はビワハヤヒデへの敗北)、3着1回

騎手は武豊が多く、次が清水英次。

●ゲーム・アニメの声:渡部恵子

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栗毛のショート。勝負服は、首には蹄鉄、ピンクのラフな上着に紺のダメージジーンズをはき、腰にチェックの柿色のシャツを巻いて、結んでいます。

いつもヒネた表情をしていて、ちょっと不良っぽい。

自営業の両親のもとで生まれました。小さい頃からチビで、そのことがきっかけで、男の子からはいじめられ、女の子からは仲間はずれにされていました。

しかしレースの時は俊足で一番となり、見返すことができました。

トレセン学園に入ってみて、上には上がいる、周囲との実力差にショックを受けますが、諦めずに練習に励んでいました。

スカウトたちは、その小柄で細い身体では無理と感じていて、中には、学園をやめて他の道に進むことを勧める者すらいました。

本人は、いつかレースで、まわりを見返してやることだけをひたすら目標にしています。切磋琢磨しあうライバルというものも想定していないのですね。集団に群れることを好まず、ひとりで外で昼寝したり、スマホでゲームをして過ごしています。ゲーセンには行かないようです。

ルームメイトは、母性のかたまり、「いいこ、いいこ」のスーパークリークですが、ナリタタイシンはそれを鬱陶(うっとう)しく感じていて、二人の仲はぎくしゃくしているようです。

そういうナリタタイシンに、ことあるごとに一方的に馴れ馴れしく関わってくるのが同期のウイニングチケット。何にでも素朴に感動し、喜怒哀楽をストレートに出すウマ娘です。

そのウイニングチケットをライバルとしながらも、同時に親しい友人関係にあるのが、普段は、頭でっかちで、気難しい印象もある、ビワハヤヒデです。

この3人のウマ娘のモデルとなった実在馬は、イニシャル(Biwa Hayahide,Narita Taishin,Winnig Ticket)を取って、"BNW"と並び称される、同期のライバルとされていました。

生徒会長、シンドリルドルフが言うには、ナリタタイシンについては、その背が低くて細い身体がレース向きではないこと、そして学園の規則を破ってばかりということから、退校勧告を求める声も多く集まっていたそうです。

そこに、彼女の末脚の才能に気づいたトレーナーが現れます。

トレーナーの助言が、実際に学内のレースで成果を上げることで、トレーナーは彼女の信頼を得ます。

ナリタタイシンは、それでも、熱を込めて自分に接してくるトレーナーのことを暑苦しいと感じ、時々「ウザ!」と捨てゼリフを残してその場を離れてしまいます。

レースシーズンが進むにつれ、ナリタタイシンは、ビワハヤヒデとウイニングチケットと何度も戦うことになっています。トレーナーの彼女の育成が順調に進む限り、それは五分と五分の、白熱した勝負になります。

そうやってレースに勝つことが増えてきたある日、ナリタタイシンは、赤毛のチビの少女と出会うエピソードで彼女に変化が起こります。

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ナリタタイシンは子供の頃からチビであることにコンプレックスを持ち、いじめられてもいたわけですが、母親は、「小さい子に生んで、ごめんね」と言っていたそうです。

実は母親が、子供が生まれ持った身体の特徴のことにまで責任を感じる必要はないわけですが、少なくとも親自身が「生むんじゃなかった」と子供を疎(うと)んじるよりははるかにましです。

こうした親に育てられたことで、ナリタタイシンの中には、自分に接する周囲の人間への不信感だけではなく、自分とあたりまえのように交流してくれる人が現れることへの夢は、決して捨ててはいなかったと思います。

でも、ナリタタイシンが、学校集団で群れるのを嫌がって、それならひとりでいる方がマシと思うのも自然の成り行きでしょう。

学校に限らないことですが、特に日本の集団や組織には、難しい言葉で言えば「同調圧力」、わかりやすく言えば、「空気を読んで」ふるまうように求められるところがあります。

ひとと違ったところがあれば、たとえそれが優れたものと評価できる特徴でも、それだけで、いじめや、仲間はずれの対象となる。

そうした人と、別け隔てなく、あたりまえのように関わろうとする人も、いるにはいることは少なくありません。

その人には、別に「寂しい人をなぐさめてあげよう」などという、余計な邪心すらないのです。

このゲームで言えば、ウイニングチケットがそういうタイプです、彼女は、いい意味で、無邪気にふるまっているだけです。

ところが、現実社会では、そうやって、集団から仲間はずれにされている人と、無邪気に友だちになろうとする人までが、今度はいじめや仲間はずれにあってしまうこともよくあるわけです。

不登校や引きこもりをする人には、いろいろな要因があり、一概に同じような人たちに分類するのはつつしむべきでしょうが、この「空気を読みあう」、いじめやパワハラや仲間外れを生み出す学校や会社から敢えて飛び出す決断をした人も数多く含まれているかと思います。

すでに述べたように、そうした人たちを「かわいそう」と思うから手を差し伸べるというのは、実は無意識の中に「救済者願望」という余計な邪心が隠れていることが少なくないと思います。専門的には「パターナリズム」といいます。

これは実は、いかに本人は善意のつもりでも、強い立場にあるものが、弱い立場にある者の人生に介入し、干渉し、支配しようという「影」の側面に警戒せねばならないということでもあります。

差別やいじめにさらされている人の側にも、こうした「親切の押し売り」への鋭いアンテナを持っている人が少なからずいます。

余計な力みはやめましょう。もし、無邪気なまでにあたりまえに、そうした人たちと接していける自信のない人は、そういう人たちが、ひっそりと自分の世界を守れるように、普段は心を配るぐらいでいいのかもしれません。

もちろん、明らかにひどい扱いを受けている人たちのために、立ち上がらねばならない時もあると思います。しかし、その人たち自身に、最終的には、自分の人生を歩む権利があることを忘れてはならないと思います。

これは、カウンセラーなどという、人を救うことが仕事とされている(と世間に思い込まれている)ことをやっている私の、自分への戒(いまし)めのでもあります。

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