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ウマ娘の精神分析 第16章 スマートファルコン-「ファル子、トップウマドルめざしてまーす☆」・・・草の根街頭ライブから出発し、日本のダート馬の人気を高めようと奮戦するウマ娘- 


 
●実在馬
サラブレット オス 栗毛
2005年4月4日-存命中(2021年12月現在)
北海道静内町に生まれます。
父はダートで活躍したゴールドアリュール。
デビューからダートで3戦2勝の成績。芝での活躍が期待され、1勝はしましたがその後成績が振るわず(皐月賞最下位など)、再びダートを走ることになります。
逃げ戦法で圧勝するようになり、芝で大逃げを得意としたサイレンススズカにちなんで、「砂のサイレンススズカ」と呼ばれ、2008年7月から2012年1月まで、日本のダートレース界に旋風を巻き起こしました。
通算成績 34戦23勝 2着4回 3着1回(6連勝、9連勝を含む)
騎手は前半が主に岩田康誠、後に武豊。
●ゲームの声:大和田仁美
 
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栗色のツインテールの髪にリボン、白地にピンクのスカートのヒラヒラ勝負服。ただし非常に洗練されています。

自分のことを「ファル子」と呼んで欲しいといいます。

校舎の外れでひとりライブの練習をしているのにトレーナーは出会いますが、のっけからファンクラブ会員第1号ということにされてしまいます。
子供の頃からアイドルが好きで、ウマ娘が全力で走る姿と、レースのあとで歌うウイニングライブに感動し、自分もウマ娘になって、トップ・ウマドルの道を歩みだす決心をしました。

すでにレースで華々しい活躍をしていたサイレンススズカを、ウマドルの理想の姿と思っていますが、実は自分のほうが先輩です(実在馬はサイレンススズカの方が10年以上早く生まれています)。2人は親しい関係にあります。

ルームメイトは几帳面なエイシンプラッシュ。彼女はファル子のことを陰ながら気にかけているようです。

ファル子は、模擬レースでは芝馬場で成績がまったくふるわず、教師からもダートのほうが向いていると早くから言われていました。

しかし彼女はそれに抵抗を感じていました。なぜなら、ダートのレースは芝に比べれば人気がずっと低く、観客動員も少ないからです。それではウマ娘界のトップウマドルになれないと考えたのです。

彼女は授業を抜け出してライブの練習をし、街頭ライブもするのですが、誰も立ち止まる人はいません。でもファル子はそんなことにはめげずに、まるで観客がいるかのようにパフォーマンスをし続けていました。胸の前で手でハートマークを作るポーズを取るのが好きです。

トレーナーはそういう彼女を、ダートのレースが開かれる競馬場に連れて行きます。特に大きな賞がかかったレースではなかったのですが、ファル子は、ウマ娘たちの走る姿とライブに、キラキラ輝くような感動を覚えます。
自分もウイニングライブでみんなにキラキラ輝く感動を与えるような存在になりたい。

しかし、彼女はそのレースを走るウマ娘たちの姿を残念にも思いました。なぜなら、芝でなくてダートである限り、いくらレースでがんばり、ライブで熱唱しても、その姿を多くの人は知らない。トップウマドルへの道は閉ざされているかに見えるわけです。

トレーナーは、「ダートの世界をトップに変えるんだ」と励まします。

実際にトレーナーとダートで練習をはじめると、非常に真面目に取り組みます。模擬レースに出てみると、彼女は抜群の成績を残します。

トゥインクルシリーズのレースに出て、成果を残すにつれて、ファル子の名前を覚えているファンが少しずつ増えていき、街頭ライブにも、ファル子に気づいて立ち止まる人が増えて行きます。

ファル子は、ついに、ダートの世界を盛り上げるために、ファンを前にして、爆弾宣言をします。

しかし、彼女はレースが進むにつれて、その責任の重さをプレッシャーと感じるようにもなっていきます・・・

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ファル子の言動に感じるのは、ただアイドルに無邪気に夢のように憧れているのではなく、アイドルとはどういう存在なのかについての、明確で冷静とも言える認識を、トレーナーが会った時にはすでに持っていたことです。

これからグラウンドで自主練習をはじめようとするサイレンススズカに下級生のファンが殺到すると、「こらこら、プライベートはそっと見守る、これ、ファンの鉄則でしょ」と割って入ったりもしました。

彼女がひとりぼっちの街頭ライブでも観衆がいるつもりで声をあげる様子も、全く堂に入ったものです。

アイドルであるというパフォーマンスを、観客がどれだけいようがいまいが、演じ切れねばならないと心に決めているのです。

その姿はストイックですらあります。ともかく根性はすわっている。

「みんな、ファル子のことかわいい?」とか呼びかけ、コールを待つのですが、これ、全然自分に酔っていないのですね。もちろん自分のことをかわいい部類に入るとは思っているでしょうが、うぬぼれはまるでない。

全部ファンを盛り上げるための、計算され尽くしたパフォーマンスであり、むしろファンを大事にする誠実さと謙虚さが伝わるのです。この点での彼女の揺るぎなさは半端ではありません。

ファル子には全然浮わついたところがなく、むしろ真面目人間そのものなんですね。

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ここで私の念頭に浮かんだのは、ユングの言う「ペルソナ」という概念です。日本語では「仮面」と一応訳されます。これは、人が外の世界と関わる時に、おのずから形成される心の姿です。

これから、最終的には、スマートファルコンが、この「ペルソナ」を自分でコントロールすることの達人である、ということについて書いていきます。

ギリシャ悲劇や日本の能では、演じ手はそれぞれいろいろな「仮面」を使い分けて演じてきました。演じるのはすべて男性ですが、男の面、女の面、老人の面、鬼の面などいろいろあります。能面だけでも200種類の面があるそうです。

これにより、役者はいろいろな社会的な役割を演じ分けることができるわけです。

人が外の世界と関わる時も、さまざまなペルソナ=仮面を使い分けているとみなすことができます。子供に接する時は親の顔になっているでしょうし、会社では部長の顔になっているかもしれません。それは別人のように見えるかもしれません。

このように言うと、仮面の背後に「本心」を隠して、押し殺して、社会に順応している、みたいなイメージで受けとられかねませんが、私がユングを読む限り、「ペルソナ」という概念には、もっと細やかな意味があります。

人は、自分がやさしい人間の「演技」をしているつもりはなくて、ほんとうにやさしい人間だと思いこんでいる場合でも、実は、無意識のうちに、ペルソナ=仮面をさらしているだけと考えることもできます。自分が、自分の一面だけをおもてにさらしていることに気づいていない。

だから、時と場合によって、それがいつの間にか入れ替わってしまう。それは他人の目から見れば、同じ人間の態度(それどころか実際の顔の形相)だとすら思えない場合があります。

普段は穏やかなこの人が、こんなに血相を変えて怒ることもあるのか、などとびっくりすることは、結構よくあるのではないでしょうか。

それどころか、本人自身が、自分が時と場合によって別人のような態度をいつの間にか取っていることによって生じるトラブルに、混乱してしまうこともあります。

そうした自分のいろいろな側面を、冷静な目でみつめる、もうひとりの自分のまなざしが必要です。

皆さんも、自分が怒ったり悲しくなったりする時に、「あ、今、自分は悲しくなってる。泣いてる・・・」などと、冷静にみつめているもう一人の自分がいつの間にかいることに気づくことがあるでしょう。

これを、何か自分のありのままの感情に素直ではない状態と受け取る人もあるでしょうが、実は、感情に流されるままになっても、自分や自分と関わる人にとっていい結果になることはあまりないかと思います。

例えば、親が、普段の、親らしい態度を脇において、子供に、対等な人間として、ほんとうに思っていることを伝えたいとします。

恋人同士や、夫婦同士、友人同士や、仕事仲間が、普段の馴れ合い(傷つけあい)を脇において本心を伝えたくなった場合も同じです。

これ、感情的なったら、実は相手に理解してもらえるどころではないわけです。激しい感情の背後にある、心の針のような傷つきとか、相手に対する愛おしい思いとかの肝心なところは伝わらない。

むしろ、本心とは、自分の中に冷静な自分をきちんと確保した上で、うまく「演じる」つもりになった時に、相手に伝わるというところがある気がします。

言い換えれば、自分で意識的に「仮面」を選ぶということです。

これは、必ずしも、理性的に論理的に「説明」するということではありません。「自分自身」を演じる「役者」のような心境になれるかどうかです。こうしたコントロールのもとに相手に伝えると、逆に相手の心に響くことも多いです。

自分の気持ちを相手に「察して」もらうことを期待する日本の人間関係においては、こうしたことが下手な人が非常に多いと思います。

ユング自身の本に、「日本人には『ペルソナ(仮面)』がない」と、ボソッと説明なしに書いている場所があります。ユングは、はるばるスイスまでやってきた留学生とかしか、日本人には接していなかったと思うのですが、私はこれを、「日本人には、自分で自分を『役者』にして、他人に表現(演技)する力がなさ過ぎる」と感じた、という意味に理解したいと思っています。

この、自分の本心を的確に伝えるために「ペルソナ」をかぶって「演技する」ということは、欧米の、少なくとも良識的な人々の間ではかなり当たり前のことです。こうした人たちの話しぶりや表情や身振りは、日本人には大げさで、わざとらしくすら思われます。

俳優やミュージシャンの少なからぬ部分は、まさにこうしたことに特に秀でています。本人は、決して感情任せではないんですよね。人にどう「表現」すれば(演じれば)伝わるのか、もう一人の自分がいつも冷静に見ています。熱演、熱唱に見える場合ですらそうです。

・・・さて、何か、少し難しい話になったかもしれませんが、スマートファルコンに話題を戻せば、彼女は完璧なまでに「アイドル・スマートファルコン」という役を「演じて」いると思います。

もちろん彼女には、自分がキラキラしたい、観衆にキラキラとした感動を与えたいという思いはあります。ファンとの間で喜びを分かち合いたいと思っています。

でも、それを可能にしているのは、自分が「アイドル」であるということの意味を、実にしっかりとつかんでいて、一歩も踏み外さないからだと思います。

実は、そのことによるストレスは彼女にもあって、そこのところをトレーナーとエイシンフラッシュがうまく支える役回りになっているのですが。

恐らく、いろいろ不祥事を起こしたりせず、心を病んだりはしないでやっていられる、現実の俳優やアイドルも、こうした、自分が「ペルソナ」を演じているという自覚が十分にあるのだと思います。

マネージャーなど、周囲の人の支えもあることでしょうが。

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