【日本の海外】宮崎県日向市は観光地ではない「俗世を捨てて人間力磨き」をする修行の地である心してさるけ
「日向時間」という時間軸
「テゲテゲ気質」という性質
「のさる」と「のさん」の超絶便利な感情表現
我がふるさと宮崎県は正真正銘「陸の孤島」である、驚くほど。
その昔、新婚旅行のメッカと謳われた宮崎は、メッカだった頃と2000年代の現在を比べてもほぼ変わりがないと言ってもよい。
1960年代70年代に新婚旅行のメッカだった宮崎は、60年前と現在でほぼ変わってないのだよ、びっくらこくほどに。
つい数年前に兵庫県から帰省した私の感想が「森増えたな~」だったから
30年前よりもっと昔っぽさが増す我が故郷、日向市である。
だいたい何かの「メッカ」て付くと「理由が無いと行かんような場所」なんよね、サーフィンかゴルフかひょっとこかであろう、宮崎に来る人の理由。
それ以外の理由で宮崎に行くと聞いたら元宮崎人の私は一旦聞き出すよ「何しに?」つって。
宮崎を観光地やと思ってフラッと目的無く行くとだいたい大変なことになるんやから。
宮崎人の常識は宮崎でしか通用しないことを現地の宮崎人はなんせ自覚していない、私がそうだったから。
関西来たてホヤホヤの宮崎人の私が関西で生活するのにどんだけ「世界が違う」と思ってきたことか。
九州から本州まで日本国内を飛行機でたった1時間移動しただけなのに、こんなにも違うかと。
宮崎は詐欺に遭わない海外よ。
治安の良い海外なのよ宮崎は。
アメリカの車社会、韓国の時間軸、中国の人間関係、それらに根差した人間力磨きをするための修行の地が「日向(ひむか)の国」
もう独立国家と言っていんじゃないか「ひむかの国」の民は宮崎以外ではやってけないもん。
宮崎県日向市は日本の亜米利加なんだもの
ひむかの国は日本の亜米利加、とにかく車社会。
公共交通機関が麻痺している宮崎の日中の移動手段として自家用車が必要であるが、宮崎で車と言えば「一家に一台」ではなく「一人一台」の必需品である。
宮崎から出て行かない高校3年は在学中に教習所に通い卒業までに普通免許を取得する。
そこまでは誰もが想像する田舎の感覚であろう。
しかし異常なひむか人の異常な感覚はそんなもんじゃない。
電車もスクールバスも無い秘境から日向市内の高校に通う生徒はバイク通学をするしか選択肢が無い生活環境で育っている。
3年間バイクをアシとして運転してきた高校生が車の免許を取る頃には感覚は当然バグる。
かる~く「同じ方向やから送って行くわ~」と車で5分くらいの感覚で言い放った場所がじつは、車をまぁまぁカッ飛ばして40分の森の中。
その距離を往復することを何とも思っていないのである。
「いいの?」
「いいよいいよ~俺も同じ方向やからついでに送って行くわ~」と軽く言う、今から出て1時間5分かかる距離の往復を。
同じ方向にある自分の目的地は現在地から15分の場所なのにさらに25分行く、自分が目的地に行くよりも長い時間をかけて行く場所を「ついで」と表現する。
「ついで」は自分の目的地より手前に出て来るのが普通だが、ひむか人の「ついで」は自分の目的地をゆうゆう過ぎる。
そんなことをやっていたら一日が24時間では足らないが、車に乗っている時間は計算に入れないのだろう。
こんなにも許容範囲が広くなるものか人間という生き物は。
その感覚でいないとひむかの国ではやってけない。
人間力を磨く修行の地である、宮崎は。
アメリカの車社会が菓子折り持って謝りに来るほど車社会、それがひむかの国。
宮崎県日向市は日本の韓国なんだもの
ひむかの国は日本の韓国、とっても時間にルーズ。
宮崎のお祭りのスタッフに聞いたのよ。
「花火て何時からですか?」
「ステージが終わったらですね」
「お祭りは何時までですか?」
「花火が終わったらですね」
「ステージてだいたい何時に終わるとかって…」
「最後までやらんとわからんですね」
あ~ん~~~蘇ってきたな、宮崎の時間感覚。
宮崎でよく耳にする有名な言葉「日向時間」はひむかの国の時間軸。
ひむかの国では、時間なんてアテになんない。
日向時間の民は時計なんて見てないんだから。
遅刻癖が治らない人は宮崎移住を考えると生きやすくなる「あの人は日向時間だからね」で遅刻が許される国だから。
しかし就職口は無いので、手に職がある状態で移住しないと生活は出来ないよ。
ひむかの国ではとにかく時間がアバウト。
日向時間と沖縄時間とコリアンタイムは一緒なの。
農業や畜産をしている民たちは自分の時間配分で仕事をするのが常で、24時間制を採用していない。
時間に合わせて仕事をするサラリーマンとは違い、動植物が相手の仕事は季節や気温や動物の状態によって仕事をする時間が決まる。
自分が仕事をしている間は時間が存在せず、仕事から離れたタイミングで今日が始まるひとも多い。
だから「今日行く」と約束しておいて平気で翌日にのこのこやって来ることもある。
しかし本人には約束の時間に遅れている自覚はない、だって自分のタイミングで今日がスタートしてるから。
時間に遅れていないと思っている人間に、遅刻している事実を理解させることは難しい、つ~か不可能。
不可能なんだから「あのひとは日向時間やから仕方ないね」で済ませるのがひむか人の常識。
他府県から宮崎に移住した方々には理解不能な時間の流れだが、それが宮崎の現実。
「日向時間」の人間が時間を守れることは、末代に渡ってずっと無い。
「日向時間」の人間を「あきらめる」ことのほうが容易いのだ。
「なんなんですか日向時間て。宮崎の人って『あのひとは日向時間やから』で済ませるでしょう?仕事ですからね?いっつも上司が会議に遅刻してくるんですよ、30分!」
「早いやん」
「いや、ダメでしょ!」
ひむか人のサラリー化が進むと、日向時間の狂いも30分程度になるのか進化してるじゃないかひむか人よ、私は待ち合わせの時間になったらようやく家の玄関で靴を履くが。
半日の狂いなんてざらにあるのに、日向時間がやっと時代に追いついたか。
いいや、日向時間をナメるなよ?日向時間が時代に追いつくわけない、そうは問屋が卸すかいな。
「日向時間の人間で30分遅れて来てるなら早いほうよ?生粋の日向時間は会議が終わってから会議室に来る」
「話になりませんね」
「なんでその上司アテにすんのさ?私ら日向時間の人間は頭数に入ってないで?仕事できるひとは日向時間じゃないから抜けばいいやんその上司」
「そう!仕事ができるひとは時間も守る!守らないのは上司だけ!30分遅れるから30分前の時間を伝えるんですよ、10時から会議とすると、上司には『会議は9時半からです』て」
「それ、10時半にご登場するやろ?」
「そう!結局1時間遅刻してるんですよ!」
「セオリーやな」
「おかしいでしょ!まだ10時からの会議って伝えて30分遅刻のほうがマシでしたよ!でももう上司は会議の時間を正しく伝えても1時間遅刻するようになってます…何なんですかもぅ…」
「日向時間のひとって思考が時空を超えてんねん。遊びに行こうって約束していつも1時間遅刻するから、9時に集合やけど8時集合、て伝えるやんか?で、9時に行くといないのね。早く時間を伝えても関係なく遅刻するんだなと思っていつも通り1時間待つやん?来ないねん、さらに30分経っても来ないから2時間経った頃に家に電話したら、おんねん。だから『なんで家?』て聞くやん『さすがに2時間すぎたらもういないと思って10時に行くのをやめたから家にいる』て答えるよ。すごいよね~なんかもうさ、尊敬する。おもろすぎて許せる」
「許せませんよ。遊びだったら許せるかもしれませんけど、仕事ですからね」
「そんなにイライラしたって給料一緒やで?」
「そこが腹立つんですよ!こんなに仕事しないのに上司のほうが給料多くて!」
「同じ一日を過ごしても、アンタの給料も上司の給料も変わらないなら、イライラしてても損しかないよ。おもしろがってたらいいのに上司のこと。許せ、許せ、それしか宮崎で楽しく生きる方法は無いから許せ」
「許せません!!」
無理だな、両者が歩み寄るのは。
アナタが遅刻魔とは付き合わないと縁を切るタイプであれば、宮崎に移住すると人間関係の半分を失うことになるだろう。
そしてその切った日向時間の民たちは得てして何故か人徳があって付き合っていると得なことが多い人物なので「切らなきゃよかった」と後悔することになる。
ひむかの国に住むのなら許せる人間でないと何かと困るから、許したほうがスムーズ。
宮崎の住環境はひとを許せる人間に成長させる、否が応でも。
人間力を磨く修行の地だからね。
韓国のコリアンタイムが土下座して詫びに来るほど時間にルーズ、それがひむかの国。
宮崎県日向市は日本の中国なんだもの
ひむかの国は日本の中国、隣にいるなら話し相手、知らなくても。
レジ係も話し相手だし、薬局で目薬を買うのに値段を吟味している時に他の客が隣りに来れば、
「この30円の違いで何か変わるっちゃろかいね?」
「30円分目がスースーすっとじゃないですか?」
「んなら安いほうでいいわね?」
「いい・いい、変わらんばい」
てな会話が成り立つ。
この会話に重要なポイントなんてひとつもない、全部テキトー。
話し掛けたほうも本気できーてないし、答えたほうも真剣に答えてない。
このテキトーさを宮崎の有名な言葉で「テゲテゲ」と言う。
私が関西でレジの人と会話をしたり、電車で横の人に話し掛けたりすると「知り合いなん?」と確認されることがよくある。
「いいや?」と返事をすると「めっちゃ知ってる人みたくしゃべるや~ん!」とツッコまれる。
関西人は知らない人とよくしゃべる人種なのだが、ひむか人はその関西人よりも知らない人とよくしゃべる。
私は大阪で中国人に話し掛けられる、中国語で。
中国語がわからないのでポカンとしていると英語になる。
49年間の長きに渡り日本人やらしてもろてるが、テキトーに内容の無いことを誰とでも話す中国人テイストが見た目に影響を及ぼしているのかもしれない、薬局の中国人留学生スタッフは日本語が堪能なのに私に中国語で免税レジを案内してくれる。
私がお茶1本を見せながら「日本人やねんごめんな~」と言うと踵を返してその場を去る中国人留学生スタッフ。
せめて…せめて「わかりました~」とかなんとかゆぅてくれ無視されたみたいで寂しいから。
知らない人とテゲテゲにしゃべっちゃう人だってのを見抜く才能が中国人にはあるのかもしれない。
だから同じフレグランスが漏れちゃってるひむか人の私は、中国語で話し掛けられているのだろう。
知らない人に話し掛けたり、話し掛けられたりするのに忙しく、孤独にひたっているヒマがないのでひむかの国ではコミュニケーション能力が異常に高くなる。
人間力を磨く修行の地だから。
中国のおしゃべり意欲が泣いて許しを乞いに来るほど話し相手は現地調達、それがひむかの国。
万能宮崎弁「のさる」「のさん」
宮崎弁は「のさる」と「のさん」で7~8割の感情表現が賄えるから、のさのさ言っといたらいい。
困った時や失敗した時「のさんわ~」
人を慰める時「のさんねぇ」
遠慮しながらも人に何かをしてもらう時「のさんが!」
すごく面倒な作業を手伝ってもらったら「のさんかったね~」
めちゃくちゃラッキーな事が続いたら「のさっちょ~」
めちゃくちゃラッキーな事が続いてる人に「のさっちょっこんね?」
嫌々仕事に向かう前「もぅ…のさんて…」
嫌々仕事に向かう人に「のさんとや?」
愚痴に同意して欲しい時「てげのさんこっせ~ん?」
どうにもならない時「てげのさんとよ」
聞いた話だけどなんだが面倒臭そうだったよー「のさんげなよー」
アナタがわざわざ来るまでもないことなのよ「来なんな!のさんばい」
そんな時間無いでしょ?いいからいいから「のさんじゃろ?いいがいいが」
やったところでモノになりませんから「あんげしてんどうせ、のさんかい」
やったところで無駄「やらんめ、のさん」
当たるわけない「のさろか」
すぐに当たりを引いちゃいますけどね「いっきのさるかい」
やりたくないに決まってんじゃん「いっきのさんとじゃわ~」
これでうまくいくわけがない「こっでのさるもんか~」
これなら大丈夫やと思うけど「こんならのさっじゃろ」
ああやったらどうやらうまくいきそうよ「あっでのさるもんね」
あれじゃダメだわ~「あっじゃのさんわて」
ヤダけど、そうなのよ~「のさんとって~」
え~そうなの~?「のっさ~ん!」
ヤだヤだ~「のさんのさ~ん」
めっちゃイイや~ん「のさるのさる!」
運に任せてみたら?「のさりね」
使い方がわからなくなって迷った時は、良い感情なら「のさる~~~~~」と「る」を伸ばし、悪い感情なら「のさ~~~~~ん」と「さ」を伸ばしといたらOKなんで、のさんかったらのさっちょきね!
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