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『スポーツ劇』のルール〜反復横跳び+反り返るコート=再演不可!?

地点『スポーツ劇
作:エルフリーデ・イェリネク 翻訳:津崎正行
初演:2016年3月、ロームシアター京都 サウスホール
KAAT 神奈川芸術劇場 大スタジオ
上演時間 120分
音楽監督:三輪眞弘


地点の俳優は決して、運動神経は悪くありません。
ただ、すごく良くもないです。
ふつう、です。
秀でたところといえば、一般の人より少し声が大きいことくらいでしょうか。
そして当たり前ですが、世界にはもっと運動できる人達がいます。

スポーツ界。おなじみのスポーツ界。
実は特殊な世界です。記録や勝敗のためならドーピングする世界です。やってはいけない薬をやらなきゃやってられない世界。
闇を感じます。
イェリネクはスポーツの闇に乗じて戦争の闇にも踏み込もうとしました。
「戦争の代替としてのスポーツ」
この演目の紹介文でよく見るフレーズです。
我々はスポーツはそんなにできませんが、かと言って、スポーツのためにしたくもないドーピングをしたくありません。
我々がドーピングした所でたかが知れているとは思いますが。

不得手なスポーツで戦争をどう表現したら良いのでしょう。
けれども、「戦争状態」なら、あるいはできるかもしれません。
日常でもよく耳にします。
「ランチタイムの厨房は戦争状態だ。」
「受験戦争が過熱し、受験生は日々、戦争状態だ。」
スポーツでの戦争状態。
これもただごとでは済みそうにありません。
チーム同士の全面戦争、1点を巡る攻防戦、ライバルに向ける敵対心、頂上決戦、乱打戦、情報戦、神経戦、肉弾戦、心理戦、消耗戦、総力戦……。
スポーツにも様々な戦いがある様で、もちろん作品にも反映されることになります。

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前置きが長くなりました。
さて、地点の作品で身体的負荷が頂点に達したのが、この『スポーツ劇』です。
『三人姉妹』の頁で「再演すると聞くとゾーッとする」と書きましたが、この演目はおそらく再演できないでしょう。
残念です。
膨大な台詞の圧力もさることながら、運動量に桁があるとしたら、まさに桁違いです。120分という上演時間も再演不可を後押ししています。
ちょっと動きをトーンダウンしていいなら再演できるかもしれませんが、当時の感じではまず無理だと思います。

引退したプロ野球選手が、ちょっと歳をとってから、ファンのためにまた野球をやっているのを見たことがあるでしょう。全体的に力を抜いて、たまに少し本気を見せる。「野球」はやっているが「プロ野球」ではありません。
元プロ野球。元スポーツ劇。おそらく、そんな感じになります。再演すると。
力を抜いて、ファンのためにやる。ファン感謝祭。
それで演劇ファンも喜べばいいのですが。
当然、許してくれないでしょう。
ですが、ドーピングをすれば、図らずもできるかもしれません。
極力、薬はやりたくありませんが、お客様の要望があればそれも致し方なし、と考えます。
ですから、この演目を再演するとなったら、何らかの(あくまでも合法的な)対処は必須となるでしょう。
それぐらい、ヤバイ演目ということです。

スポーツには、それぞれの種目に固有の状態があります。
例えば、バスケットボールは手でボールをドリブルし、サッカーは足でそれをします。アイススケートは氷の上を滑り、背泳ぎは仰向けに泳ぎます。
『スポーツ劇』では反復横跳びとなりました。体力測定の時にしかやらないあれです。
基本の状態が反復横跳び。これはもう、持久戦という一人戦争状態です。

舞台美術が追い討ちを掛けてきます。
見れば一目瞭然、サッカーコートの様な長方形の芝生が、上空に反っていってついには90度、垂直になっています。
これは中学校で習った、位置エネルギーと運動エネルギーを身をもって体現することになるんだろうな、と一瞬で理解します。登っていってかけ降りる、かけ上っていって、転がり落ちる、を繰り返すのだと。
反復横飛びに反り返るコート。どんな種目なのか、楽しみで歯の根が合いません。

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この際なので、位置エネルギーと運動エネルギーを復讐、いや復習してみましょう。
これにより、『スポーツ劇』で何が行われていたのか、その端緒が垣間見えるはずです。

位置エネルギー・運動エネルギー
「ボールをある高さに持ち上げると、物体は位置エネルギーを得ることになる。
ここで、得たエネルギーの大きさはボールを持ち上げるのに必要としたエネルギーに等しい。
そしてボールを支える手が離れた瞬間、位置エネルギーは運動エネルギーに変化し始める。
運動エネルギーとは物体が動いているときに持つエネルギーである。
ボールが落ちていくにつれて位置エネルギーは減少し、代わりに運動エネルギーが増えていく。
位置エネルギー+運動エネルギー、つまり物体が持つエネルギーの全てのことを力学的エネルギーという。」(ウィキペディア参照)

これをスポーツ劇的に言い換えてみます。

位置エネルギー・運動エネルギー
「俳優をある高さに持ち上げると、俳優は位置エネルギー(俳優→恐怖、観客→期待)を得ることになる。
ここで、得たエネルギー(恐怖、期待)の大きさは俳優を持ち上げるのに必要としたエネルギー(俳優→きつい)に等しい。
そして俳優を支える手が離れた瞬間、位置エネルギー(恐怖、期待)は運動エネルギー(俳優→辛い、観客→愉快)に変化し始める。
運動エネルギー(辛い、愉快)とは俳優が動いているとき(落下しているとき)に持つエネルギー(感情)である。
俳優が落ちていくにつれて位置エネルギー(恐怖、期待)は減少し、代わりに運動エネルギー(辛い、愉快)が増えていく。
位置エネルギー(恐怖、期待)+運動エネルギー(辛い、愉快)、つまりスポーツ劇が持つエネルギーの全てのことをスポーツ的戦争状態という。」

これに自発的運動エネルギー(反復横跳び)が加わるのだから、再演不可、もしくは、したくもないドーピングを必須と考えるのは仕方のないことなのです。


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ルール
///////////
状態
・長方形の芝生の舞台がネットで前後に分かれている ネットはくぐって自由に行き来できる
・基本的に反復横跳びをしている
・反っている舞台をかけ上がったり、かけ下りたりすることができる
・客席から登場したり、客席に退場したりできる
・次のポーズを取ると止まることができる
 ・膝に手を置いて休む(地点ではドンマイのポーズと言う
  ドンマイには、顔上げドンマイと顔下げドンマイがある)
 ・休めのポーズ(足を肩幅に開き、手を後ろに組む)
 ・クロウチング(滑走のポーズ)
・寝転んでいる人を蹴る事ができる
・他の人と接触したら、ファウルされたと観客にアピールする
・爆撃のSEが流れるとみんな死ぬ

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発語
・基本的に客席に向かって発語する
・基本的に反復横飛びをしている時に発語する
・言葉が他の人にぶつかると、両者同時に「違う!」と発語する
・動きを止めると発語を止める


上演台本抜粋

Abe すみませんが
Sie 私たちは
Abe&Sie 違う!
(Sie、ネットをくぐって向うへ行く)
Sie 私たちはフィールドを何度でも計算しなおすことができます。ママ。
Abe すみませんが、停留所はどちらでしょうか(倒れる)
Sie それで、私たちにどんな得があるのでしょうか。岸辺を踏みつけるオリンピック競技のために。
Sak スポーツにおいて、
Yuk すみません。分かっていますよ。
Sak スポーツにおいて、
Yuk 分かっていますよ。
Sak 私たちはスポーツにおいて
(YukとSak同時に舞台にあがる)
Sak 大衆的(Sie、Sak、Yuk同時にネットに衝突。Yuk倒れる)                    (SE ホイッスル)                          Sak 私たちはスポーツにおいて大衆的現象と直面します。
Abe リモコンはどちらでしょうか。
Sak その影響をうけると、人間は
Abe リモコンはどちらでしょうか。(倒れる)
Sak 普段とは別の行動をとるでしょう。スポーツの影響をうけると、人間は突然、自分が規 範だと感じるようになるのです。あなたは、どうお考えになりますか。お電話ください。
(Kinectアウト)                         
Sak (ネットをくぐって向うへ行く)あるいはお手紙に書いてください。でも、彼の顔も見なければなりませんし、彼の性格も読まなければなりません。新聞は彼の肉 体に性格をママ、書きつけました。         
Sie こちらの方が、平均年齢が若く、まだ青春を謳歌しています。
Sak (悲鳴・滑落)
Sie (Yukに手を伸ばしながら)パパ
Yuk パパ
Sie 自分たちの青春がいつまでも続くことを願っています。
Sak 以前は、父親がそうしたものですが。その一方、番犬たる母親は買い物に行きました。 あるいは、柵のところで吠えました。ワン!
Sie (Yukを引きずりながら)スポーツ選手は兵士のようなもので、
Sak (悲鳴・滑落)
Sie ママ
Yuk ママ
Sie 各自は自分の持てる力のすべてをユニフォームの中に入れます。
Sak 息子が自分の性格を、スラロームのポールを、使い終わったダンベルをきちんと片づけ てしまう前に、許可を受けていない者が、入ってくることのないように吠えたのです。 ワーン!
Sie (起きあがって)その一方でまた、オリンピックがあるのは、彼らに機械の一部である ことを教えるためなのです。

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