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植物譚 : 記憶の中の植物〜枇杷〜

2011年に移り住んだ町にはたくさんの枇杷の木があった。川沿いにも、家屋敷のまわりにも、畑にも、山の中にも生えていた。温暖な気候ゆえ発芽できればどこででもよく育つのだろう。来た年は豊作だったらしくどこの家にも枇杷の実があり、訪問すると「食べなよ」と言ってもらったことが懐かしい。

そんな数ある枇杷の木の中に強く印象に残る大木があった。木は私の通勤路にあって、晴れの日も雨の日も、私が冴えてる日もやる気のない日もじっと立って自分の営みを続けていた。葉っぱの濃い深緑を背景に、つぶつぶとした明るいオレンジ色のドットが散りばめられた姿には見ていて心和むものがある。それが風景の中にたくさんあるのでこの時期は見てふふふと笑ってしまうこともある。この大木もある年は上から下までびっしりと、ある年は控えめに毎年実をつけてきた。世代を超えて木の下に人を集らせ恵みをもたらしたし、人間だけじゃなく虫も動物も集まった。何年かじっと観察してみたら誰もオフィシャルに収穫しにこないのでこれはもしかして少し分けてもらっても良いのかもしれないなと思い、この町生まれの友達と連れ立って時々実を採らせてもらった。なにしろ大木で大量に実るので、けっこうもらったなと思って振り返ってもどこの枝のどれが減ったのか全然わからなくなるほどだった。


枇杷の大木

採った枇杷の実は普通に食べた。大量にもらうのでコンポートやジャムにしてみたが結局生食が一番おいしい。そして種をリキュールにした。枇杷の種には杏仁香があり、香りを移したリキュールをほんの少しホットミルクに入れると甘い香りがしておいしいのだ。あの年も、その木からもらった枇杷の実を食べて種を洗い、乾かし、瓶に入れてウォッカを注いだ。そして2年放置してから楽しみ始めた。寝かせれば寝かせるほどおいしいのでそれこそちびちびと。


枇杷の種リキュール。もっとたくさん作っておけばよかった。

その木がいなくなった。冬の雨の日、当時働いていた職場で耳を澄ますとどこからかチェンソーの音が聞こえる。そういえばあちらの方角は人の住まなくなった家を取り壊して植木を伐って整理していたなと思って聞いていた。そして退勤時に私は仰天した。木があった場所に、木がないのである。木が占めていた空間がぽっかり空いて、向こう側が見える。地面が見える。雨の日なのに周囲はとても明るい。車の中であーーーーーと叫んだ。

作業の邪魔をしてはいけないという気持ちが先に立って車を止めずに通過した。頭の中を渦巻いたのは長い時間をそこで過ごした木の終わりのあっけなさと、あれほど大きな木を手際よく一日で伐って跡形もなくしてしまえる人間の仕事への感嘆だった。こんなに簡単にいなくなる、そりゃそうだ形のあるものはいつか壊れる。これぞ人の世の暮らしであり自然の理と。

以前なら馴染みの木が姿を消すなんてことが起きたら悲しみ怒った私も年をとって、木の持ち主の気持ちを想像してみるようになったのも変化だと思った。親から代替わりし、子供の頃は小さかった木が生長にするにつれて持ち主としてあれこれ懸念することが出てくる。この木はすでに素人には切れない高さで専門の業者に伐採を依頼しないといけない。それなりにお金もかかる。どうしよう。かといってこれ以上放置してもっと大きくしたらどうなるか。台風や地震で倒れて人の命や財産を傷つけたら一大事だ。ほんとのところはわからないけど、他人の私(自分の故郷に家と田畑と山を持つ)がここまで想像できるのだから、持ち主さんもあれこれ逡巡なさったことと思う。そりゃ伐るわ。

甘すぎずジューシーで暑い日に食べるとすぅっと身体が潤う。

伐った木の一部分が転がっているのを見たので、少し分けてもらって記念にスプーンでも作ろうかと考えたけどすぐ打ち消した。頼めば分けてくれるかもしれないけど、手に入れるのに誰かを煩わせる可能性があるならそうするべきじゃないし、この木へ抱く私の想いの本質は木ではなく実のほうに向けられているのだから、もう君は思い出の中に残っていればそれでいいと思い直した。だから木部は何も残っていない。種子から作ったリキュールだけが手元に残った。

この町生まれの年上の友達に、私がこの木に出会う以前のエピソードを教えてもらった。薬屋さんがこの木の下に種を拾いに来ていたこと。子供たちが夢中になって食べていたこと。今はもうこの世を去ってしまった人が「体にいいから」と生前ずっとこの種を集めていたこと。そして私も、この木から実をもらって何度も食べたのだ。最後の最後に長い間続いた木と地域の人々との関係に自分も縁あって連なることができた。そのことを嬉しく思う。

参考文献
https://www.outdoorfoodgathering.jp/plant/biwaannin/


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