所属と錯覚

仲間意識が高まったコミュニティに、違和感を発生させるヒトをたまに見る。

「イジメダメゼッタイ」ブームーーまだブーム程度だろう(いつまでもブームかもしれないが)ーーのおかげで、取り残されはしないのだけれども、ズレているヒト。

問題はズレている事ではない。本人が足並みを揃えようとしている、もしくは揃っていると思っていることだ。要するに「仲間になろうと必死なヒト」だ。 このヒトの中には「ここはこういうコミュニティで、こういう人が集まっていて、自分もそういう人を目指して振る舞わねばならない」という脅迫観念がある。(この時点でそのヒトはコミュニティに依存していると言える)

これがややこしい。

人間、努力していることの邪魔をされる/ノイズが入ることに対しては過敏なもので、この「必死なヒト」は転じて、ズレた人を邪険にする'畜群のイヌ'と化す。(所属歴が長くなるとなおさらだ)

逆、すべてが逆なのだ。

多様性を許容するのがコミュニティの一機能なのであって、一様性を強要するのであればそれはただの宗派だ。「ここに所属している以上こう在らねば」と思っているヒトは、多様性に応変出来ないらしい。

所属出来ている、自分が許容されている、ズレを容認されていることに、まず感謝と敬意を払い、他者のそれを認めることでコミュニティは成り立っているのだ。

安定と不安定は同居する。

波風の立たぬ水面は腐るか、あるいはなにも住んでいない。

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