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駅/STATION

Facebookでママ友の帰省先の栃木県足利市の駅の画像がアップされた。

駅と言えば、この「駅」を私は思い出す。

琴平電鉄・三条駅

父の転勤で転居した香川県高松市の最寄り駅の三条駅は、当時切符の自販機も無くて、駅のおっちゃんに言って硬券を貰うというシステムに偉く驚いた。駅前は自転車置き場だったのは良くある光景だったが。

元いた小田急線向ヶ丘遊園駅もそこまで田舎でなかったし、祖父母のいる下神明駅も東京の中では田舎だけど、15分か30分に1本しか無い電車で、乗り遅れたら自宅に戻って来て出直しても間に合うと言う、ことでんこと琴平電鉄は小2の私でもびっくりした。

でも三条駅も高松市の中では都会。

現高松住まいの方にも「都会っ子だね」と言われた。

因みに現立憲民主党の小川淳也さんはほぼ年齢同じで近く、太田小だったのでは?と思ってる。映画をアマプラで観てそう思った。(私にとってはあの映画は貴重な高松市内の動く見本(笑))私は栗林小。学校まで遠かった

会社の人が気を遣ってここを借りてくれた。高松の中では伝統校で、大規模校。転勤族も沢山だけど、地元民も沢山!マンモス小学校でした。私は転校した当時に、しっかり挨拶が出来たので、当時の校長先生に褒められたと母談。そういう面でうるさかった母は喜んでた

優等生タイプだったのよね。エコ贔屓偶にされるガキだったし、1回だけではないw。幼稚園時代の近所のおっちゃんにもそうだった(^^ゞ

でもそのエコ贔屓でいじめられた事もあるので、私はエコ贔屓とか大嫌い。人は平等がいい。今でも。縛られたくないし、誰かを贔屓もしたくない。多分あの小学校中学年の時のいわれも無い嫌な記憶が、今でも私の根幹には有るのかも。

優等生で我慢してた自分滅びろwでもその経験無ければそう思えなかったかもしれないし、結果オーライで。

私は偉く素直な子どもだっただけだったかと思うけど。

今では券売機も駅員のあの待機の部屋も、改札も変わってたような記憶。

息子が割と大きくなって?高松訪れた時に夏の暑い中住んでた家→小学校と言う全然観光じゃないルートも歩いて確認した

三条駅のネットからの拾い画像はこちら。

一緒に添付したのは近くの教職員住宅の跡地と、通ってた栗林小。栗林小も建て替えて綺麗になった。そりゃそーだ。

ちなみに高松では、ことでん=電車、JR=汽車、と呼ばれていた。普段はJRは乗らない。我が家でも父が出張で乗るくらいでした。

今でもある意味変わらない。

でも私にとっては駅も路線から見える景色もいい思い出。我が家の歴史と重なる。

我が家のファミリーヒストリー。(某番組名のパクリw)


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