理想の自分と隠す自分

自分の好きなことをただひたすらに追い求めることができれば、どれだけ楽しい人生になることだろうと日々思う。
ただ、そのために色々なことを我慢したりしなくてはいけないとも思う。

なぜか。

周りの目があるから。

生きていく中で、人間は1人だと孤独を感じ、生きていけなくなってしまう生き物だと私は思う。もちろん、1人の気楽さはあるが、人恋しいとはよく言ったもので、次第に人を追い求めていく。
わかってはいるが、やはり1人は寂しいものだ。

だから、集団で生活するわけだが、その中で人に良い目で見られようと自分を偽る。
本当は好きなことをやっていきたい。共有していきたい。
でも、集団の中で自分の好きなことが嫌いという人がいる。
そうすると、中々言い出せなくなる。結果、黙って自分1人でやろうとする。もしくはやり続ける。

悲しいかな、私はそのように人生を生きてきた。
人に自分の好きなものをアピールすることが苦手、ほぼ出来ないのだ。

思い返せば高校時代に、当時自分が好きなゲームの発売日に、別の大作ゲームの発売日が被ったことがあった。
その時の親友が、大作ゲームの購入を私に勧めてきていたのだが、私は私で好きなゲームがあるから、とも言えず、お茶を濁す回答を繰り返していたのだ。

そして発売日。私は誰にも言わずに自分の好きなゲームを買った。親友は大作ゲームを買ったわけだが、自分もてっきり同じゲームを買ったと思い込んでいたのだ。

当時はネットはまだまだ黎明期。学校ではゲームの発売日以降はどこまで進んだかどうかの話題で盛り上がる訳だが、私は別のゲームを買っていたので、親友との会話が中々進まず、結果的に当時私が個人的に書いていた日記に、特別枠みたいな形でその時の思いを書いてもらう機会があった。
「別にチタン屋(本名は伏せますよ)が何買おうが、それは個人の勝手だから気にしないよ。逆に言ってくれないことの方が親友としては悲しいわ」と書いてくれた。

これを見てから、自分の中で少し考え方が変わった。
「ああ、言ってもいいのか」
少し許された気がした。

そこからは親友に対しては抵抗なく自分の趣味や好きなことを言えるようになった。
やはり自分の好きなことを共有できると嬉しいし、楽しい。共通の話題ができやすくなったのもプラスなことだった。

でも、中々そんな親密になれる関係の人って作りにくい。

特に社会人になってからは難しく感じてしまっている。
集団の話の中で、たまたま趣味があって話が弾むことはあるが、自分から切り出すことは稀だ。いや、皆無と言ってもいい。
だから、個人的に好きなソシャゲのことや、趣味のことを話せる人はほとんどいない。

生きにくいなぁ、と思うことが多い。もう少し素直に話を自分から振れたなら、と思うことが多い。

どうにかしないと、とは思うけど、進めない自分がいるけれど、やっぱり今の生活を少しでも変えたいと思っている自分だから、こういったネットの世界では少しでも自分を出していこうと思う。

結構こういったことを赤裸々に書けるネット社会も悪くないなと思う今日この頃でした。

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