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ぼくの「名前」を呼べぬ母へ

「お願いだから、ちょっとでいいから、顔出してくれへんか」
涙声で哀願する母に、しかしながらぼくのこころはただ冷たくなっていくばかりだった。

あの日、あんなに泣いて謝っていたのにな。結局のところ母は、なにひとつ変わっていなかった。御しやすい者に我慢を強いて、荒れ狂う台風の目にはご機嫌伺いをして、そうやって体裁だけの平穏を保とうとする。臭いものには蓋をして、その蓋のうちでゆっくりと膿んでいくものには徹底的に知らぬふりをして。

昔からそういうひとだったのだ、母は。弱くて、意志がなくて、いつも不安定で、「自分」のないひとだった。「自分」のなさを他人にべったり押し付けて、だれかが解決してくれるのをただひたすら期待する。いつか白馬の王子様が迎えに来てくれると信じる「少女」から、ついに母は大人に──“親”になれぬまま還暦を迎えようとしている。

「ちょっとでええんや。一緒にちょっと食事するくらいで。パパ、もうなにも言わへんやろうから」

あのね、私はもう、あの男のご機嫌取りには付き合わないよ。私はもう、私の人生の1ミリだってあの男の犠牲になんてしないし、私は「ぼく」として生きていく準備を始めているんだよ。取り返しのつかないものもあるかもしれないし、遅すぎるものもあるかもしれないけれど。

それでもぼくはね、もう決めたの。あの男をぼくの人生から、丸ごと捨てるって、去年決めたの。ぼくはあの男から引き継いだ国籍を捨てて、あの男がつけた名前を捨てて、あの男の遺伝子で生み出されたぼくの身体を捨てるんだよ。

だからあなたももう、そろそろ、「あなた」として生きたらどうかな。嵐山のお嬢様は、そろそろ卒業したらどうかな。「お嫁さん」「お母さん」に憧れ続けたあなただけど、それを否定はしないけれど、選択肢があまりにも少なかったあなたの背景に思いを馳せて同情はするけれど。

あなたは結局、「あなた」なんだよ。あなたを「あなた」たらしめるものは、あなた自身の手で獲得していくしかないんだよ。子どもから誕生日や母の日を祝われることが、夫から家政婦としてでも求められることが、あなたの存在価値ではないんだよ。あなたがあなたでいることを、他人に証明してもらおうと躍起になっても、それはぼろぼろとあなたの指の隙間からこぼれ落ちていくだけだよ。あなたもう、そのことに気がついているんじゃないかな。

あなたの理想の娘になれなくて、ごめんなさい。でもね、あなたもぼくの理想の「お母さん」ではなかった。あなたは最善を尽くしたつもりだったけれど、それはぼくの求めているものじゃなかった。

お母さん、ぼく、気がついているよ。あなたがぼくの「名前」を、まだ一度も呼んでいないことに。

「もうこの状況が、ママは辛い」

ぼくが「辛い」って言ったときに見て見ぬふりを決め込んだあなたは、ぼくに「辛い」なんて言っちゃダメなんだよ。あなたが縋りつきたい「家族」なんてものは、最初っからなかったんだよ。

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by themさんで連載させていただいている教育虐待サバイバーとしての実体験を綴ったエッセイの第3弾が、先日公開となりました。生々しい描写を含むため、もしご興味のある方は、ご自身の心の健康と相談しながら読み進めてください。



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