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恋をする女性がいつも母に似ていること

母のことをどう捉えていいか、いまだにわたしはわからない。恨んでいるとか憎んでいるとか嫌いとか、なんかそういう感じじゃない。もしくはそれぜんぶなのかもしれないけれど。

数ヶ月ぶりに母に会った。緊急事態宣言を言い訳に「1ヶ月に一度は家に顔を出す」という約束をずるずると破り続け、いよいよ避けられなくなったので、「外でならいいよ」と都内のレストランでランチの予約を2人分入れた。

母に会う用、というか実家に行くとき用の服、というものがわたしのクローゼットにはある。きちんとしているというよりは、派手じゃなくて地味でもなくて、可愛らしい女性らしい服。レディースの服。春夏秋冬、だいたい一着ずつそういうものを常備している。しかし、半端なこの季節に着用できるものが見当たらなくて、というより膨大な衣類を仕舞い込んでいるクローゼットを捜索するのがめんどうになって、最終的にメンズの黒いTシャツとチノパンといういつもとまったく変わらない服装で家を出た。

駅の改札で会った母は、あいかわらずきれいだった。わたしの母は、きれいなひとだ。もう還暦近いというのに肌はつやつやとしていて、優しげな垂れ目はぱっちりと二重で大きくて、標準体型よりほんの少しだけ健康的にふっくらとしていて。もともとは奥二重気味だった二重幅を逆さまつ毛矯正手術で人工的に広げたつり目の、どちらかというと骨張っていて痩せ型できつい印象を与えるわたしとは、似ても似つかない、美しいひと。丁寧に口紅を引いた唇を開くと、母は「あんた、またけったいな格好してからに」と眉を顰めた。

そんな頭の色して、あんたの旦那は怒らへんのかいな。そんな色に染めて、傷むやろ。キシキシになるで。その目、カラコン入れてるんか。目え悪すんで。そういえば耳もうちの家系は弱いんやから、イヤホンあんまり付けんようにし。なんでそんなダボダボなズボン履いてんの、自分のサイズに合うやつ買わな。私に会うだけやのに、ずいぶんばっちり化粧したんやな。

おっとりと、母はそう続ける。責めるでもなく、怒るでもなく、捲し立てるでもなく。ただやんわりとナチュラルに、わたしを否定し続ける。否定していることにも母は気が付いていない。そこに毒は一切ないのだ。わたしの求めるものとはずいぶんとかけ離れたものだけれど、そこにはたしかに愛情がある。だからわたしは母を嫌いになれない。

レストランに着いて食事が始まっても、母の無自覚な否定は続く。
そういえばLGBTが最近話題になってたけど、あんたが研究してたことやんな? 女も男も好きになる人もいるって。今どき、いろんな人がおるんやな。
「女も男も好きになる人」と言われて、わたしがぎくりと肩を揺らしたのに、母は気が付いただろうか。わたしは思っていることだいたいすべてが顔に出ちゃうタイプだけど、母は鈍感なのか敏感なのかわからない人だから、予想がつかない。

己のセクシュアリティについて、母に話したことがある。まだうつ病が酷かったころ、癇癪を起こしたときに、「わたしは生まれてから今まで一度も“女の子”だったことなんてあらへんわ」と泣き叫んだのだ。そうやったんや、ごめんなと、母は涙を流してわたしを抱き締めた。私はあんたのことをなんもわかってなかったんやな、なんでもっとあんたのことを信用して、言う事に耳を傾けてやらんかったんやろうか。私はダメな母親やな。そう、繰り返していたはずなのに。

カウンセラーさんは、「お母さんとチカゼさんは、根本的に価値観が合わないんです」と言っていた。その日はわたしの今まで嫌いになった人の特徴をリストアップしてくるという宿題を確認して、それと母を照らし合わせるという作業をした。すると、びっくりするほどその特徴に母という個人の性質が当てはまったのだ。

自分の意見がないところ。人に流されやすいところ。問題を自分の力で解決しようとしないところ。権力のある人間に従ってそこで踏み躙られている人間を、仕方がないことだと言って目を逸らすところ。世間体を気にするところ。「普通は」という言葉をよく使うところ。ルールや規則を疑うことなく盲信するところ。

母に「なぜ愛してくれなかったの」と何回か詰め寄ったことがある。その度は母は、愛してる、大切に思ってるよと言う。そこに嘘も虚飾もない。でも、それはわたしの求める愛し方じゃなかった。母の愛し方や、大切にするやり方は、わたしのそれとはまったく違う。結局のところ、母とわたしは絶望的なほど価値観が合わないのだ。

母の根本的な部分を生理的に嫌いなくせに、「母親」としての母をこの年になってもまだ求めてしまう。愛してくれと思ってしまう。メンズ服を着ていようが髪色が派手だろうが可愛いねと頭を撫でて欲しくなってしまう。わたしが恋をする女性はいつも決まって、肌がきれいで、二重の垂れ目で、ふっくらとしたひとだ。

母親は人間がいちばん最初に恋をする相手だ、と言っていたのは、学生時代の指導教官だった。わたしは生まれてからずっと、母に不毛な恋をしているのだろうか。母の目から見て「可愛く」なければ、生きている意味などないといまだに思ってしまう自分がどこかにいる。それを受け入れる勇気も、否定する強さもないわたしは、今夜もやすりでうっすら削られた心を抱えて眠る。

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