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あなたの手は握らない

親父の希望で入学したお嬢様中学校は教員・生徒もろとも揃いも揃って醜い人間しかいないという、地獄みたいな場所だった。1年半でその醜悪な学校を退学したのち、ぼくは共学の中高一貫校に転校する。そこで生まれて初めて、「友だち」ができた。

高校卒業後も、彼女とはずっと密に連絡を取り合っていた。定期的に会ってもいたし、編入前1~2年生のあいだだけ関西の大学に通っていたときも、当時下宿していた祖母の家まで彼女は訪ねてきた。これほどまでに親密に心を通わせることができていたのにも関わらず、彼女にミックスルーツや国籍をカムアウトしたのは、出会ってから10年以上が経過してからだった。

「なんとなくそうじゃないかと思ってた」と、なんでもないふうに彼女は言った。水滴のついたアイスコーヒーのグラス──大人になった彼女はブラックをぼくに頼らずとも自力で飲み干せるようになった──に片手を添え、ストローでそれをすする。

その日深夜に酒を飲んだあとルノアールへ寄ったのは、酔い覚ましのためだった。ぼくも彼女も酒好きのわりに、あまり強くない。だからいつも飲んだあとは必ずカフェに寄って酔いを覚ましてから電車に乗る、というのがぼくと彼女の成人後の決まりごととなっていた。

「チカゼが転校してすぐのときに、転校してきた理由をわたしが訊いたの覚えてる? そしたらものすごくうろたえてて、それ以上訊けなかったんだよね。だから、いつかチカゼが言ってくれるまで絶対に待とうって決めてた」
小学校のとき、彼女のクラスメイトに「在日」の子がいたらしい。その経験から、なんとなくそうじゃないかとぼんやり推測したようだ。

ぼくもそのときのことを、よく覚えている。ぎくりと固まる体、冷や汗が背骨を伝う感覚、知られたら最後せっかくできた生まれて初めての「友だち」を失うかもしれない恐怖。ありありと鮮明に、思い出せる。まだあどけない彼女の顔と共に。

このやさしくていとしい友だちを、ぼくは10年も待たせてしまっていたのか。触れぬままずっと、変わらずそばで思春期を共に生きてくれたのか。罪悪感と幸福がないまぜになって、下唇を噛む。ずっと言えなくてごめん、と呟くと、彼女は「それはチカゼのタイミングだからしょうがなくない? あ、わたしパフェ食べたい」と唐突に言ってターン! とエンターキーをドヤ顔で押すサラリーマンみたく店員呼び出しボタンを叩いた。

いや壊れるよ普通に押せよ、と突っ込みながら、ひっそりと心に誓ったのを今も覚えている。彼女の手だけは生涯離さずにいよう、と。

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4,041字
ぼくの地下室にも、あなたの地下室にも、理不尽に傷つけられて息も絶え絶えになった猫がいると思う。その猫たちを一緒に拾い上げ、慰撫する場所になったらいい。

地下室の猫を拾い、ほこりを払ってブラッシングして、頬ずりしたりお腹に顔を埋めて匂いを嗅いだりする文章たち。

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