見出し画像

母と「親子」になれた夏の日、ぼくはヤングケアラーを卒業した

叔母──つまるところ母の妹に電話をして、母の現状と適切な対処法を伝えた。定期的に様子を見に行ってほしいこと、注意深く観察してほしいこと。それをできれば、ぼくに報告してほしいこと。父のDVが身体的なものにまで及んでいたら、すぐにでも動けるよう準備をする必要があること。

1時間半にも及ぶ電話を切ったあと、糸が切れたように先日購入したばかりのソファに倒れ込んだ。叔母は驚くほど、うちで起きていたあの惨状について何も知らなかった。「なんも気が付かんで、ごめんな」と済まなさそうに叔母は謝罪していた。母はそういった類いのことを“ソト”に漏らすことができないタイプだと知ってはいたが、翻って彼女のメンタルのケアをし続けたのは本当に自分ひとりだったのだと再認識した。

あの夜、母はすぐにぼくの現在夫と住むマンションに駆けつけたわけではない。「今夜死んでしまうかもしれないから、一晩ぼくを見張ってくれ」とSOSを出すぼくに対して、「でも、もうあの人寝てはるし、怒るやろし……」と2時間渋り続けた。それを喚いてなじって罵った押し問答の末の、深夜の訪問だった。

玄関を開けたのは夫で、ぼくは部屋の中心で仁王立ちをして母を睨みつけていた。たぶん、泣きながら。母は黙って近づいて、ぼくをしっかりと抱きしめた。

ぼくと母は、一晩中、話し続けた。東の空が白むまで、咽び泣きながら、憎しみと恨みと怒りを母にぶつけた。母は約束通り、眠らずぼくを見張り続けた。母はもう、うっとうしそうに泣き喚くぼくを尻目に寝入ってしまった昔の母ではなかった。

やがてぼくは泣き疲れ、ようやく少しばかりの睡眠を取ることができた。久方ぶりの穏やかな、深い深い、夢も見ない眠りだった。母と夫の話し声で目が覚めたのは、11時を回ったころだった。

「お昼ご飯作ったげるし、買い物行こか」と母はぼくを近所のスーパーに誘った。目を真っ赤に腫らしたぼくは、のろのろと顔を洗い歯を磨き寝癖を治し、Tシャツとデニムにサングラスをかけ、TEVAのサンダルに素足を突っ込んだ。

「似合うてるやん、そのメガネ。綾野剛とお揃いなんやろ」
「メガネと違うわ、サングラスや」とぼくは返しながら、少しばかり驚いていた。“女の子”らしくない装飾品をこんなふうに母が褒めたのは、初めてのことだったから。

炎天下のスーパーへの道のりを、ぼくと母は並んで歩いた。アスファルトが跳ね返す熱と空っぽの胃のせいで低血糖になったぼくは、途中の自販機で甘ったるいカフェオレをねだった。歩道脇の日陰に入ってそれを飲むぼくの、頭のてっぺんから爪先まで、母はまじまじと見つめる。「どうしたん」と訊く前に、ぽつりと、落とすように母が言った。

「本当に、“女の子”やないんやなあ」

その台詞に、ぼくはぎくりと肩を揺らす。反射的に顔を上げると、母は思いのほか穏やかに微笑んでいた。

「本当は、そういうカッコが好きなんやろ」
うん、とぼくは頷く。
「名前も変えて、胸も取りたいんやろ」
うん。
「それでええと、思うてるよ。それがあんたなんやから」

とめどなく涙が溢れて、溢れて溢れて止まらなかった。慌ててサングラスを外すと、ぽたぽたと雫が落ちて、アスファルトに黒い染みを作る。

「長いこと、悪かったなあ。私が“女の子”やろって言って、私の理想を押し付けて、あんたの好きな服も貶して。しんどかったやろ。
“親からもらった体に傷をつけるんか”なんて台詞、あんたを殴った私が言う資格はなかったのになあ。あんたの言う通りやわ。ごめんやで、ほんまに。ちゃんと育ててやれんで、ほんまに悪かった。パパからも、ちっとも守ってやれんで。情けない母親やったなあ、私は」

嗚咽を漏らしながら、ぼくは何度も頷いた。今の母からは想像もつかないような、鬼のような形相でぼくを殴り罵倒した、若いときの母を思い出しながら。あのころの母の年齢に、ぼくは今、追いつこうとしている。

どんなに不安だったろう、20代の半ばで、たった3ヶ月前に知り合った相手と見合いで結婚させられて。その結婚相手が、暴力を振るうような相手で。ようやく妊娠したと思ったら、まさかの双子で。すやすやと眠る弟と癇癪持ちで火がついたように泣き叫ぶぼくを、1人であやし続けた数多の夜を、このひとはどんな気持ちで越えてきたのだろう。

「その腕の猫のイレズミ、ええやん」
涙を拭うぼくの右腕の猫を、母は指さす。ぼくの身体がぼくのものであるという証拠がほしくて、新宿で彫ってもらった赤目の猫。ずっと前から気が付いていたくせに、母はこれまで一度も突っ込んでこなかった。それなのに。
「イレズミちゃうわ、タトゥーや」とぼくは言い返した。ぐちゃぐちゃのぼくの顔に、母はハンカチをなすりつける。
「暑いし、スーパー入ろ。こんなところにおったら、あんたまた、蕁麻疹出てまうで」

ぼくと母は、きんきんに冷房の効いたスーパーで昼飯の材料を買った。こっちの方が安いんちゃう、でも量は少ないで。こっちはぎょうさん入ってるけど、足が早いなあ。冷凍したら1ヶ月はいけるやろ。でも、味が落ちるんちゃうか。そんな大層なもの作らへんし、変わらんやろ。そんなふうに、穏やかに、普通に会話をしながら、ひとつずつカゴにものを放り込む。ぼくと弟を怒鳴りつけながらカートを引いていたあの戦争のような日々とは、何もかもが対照的だった。

やっと、母と「親子」になれた気がした。長い長い年月を遠回りして、ぼくと母はようやく、通じ合うことができたのだ。それは生まれてから今の瞬間まで、ずっとずっと心待ちにしていた日だった。たぶん、ぼくも母も。

そんな一筋の希望すらも、あの父親はあっさりと根こそぎ奪っていった。その日「きちんとパパと話してくるわ」と帰っていった母は、父の罵声に怯えて結局なにひとつ伝えられなかったと電話口で号泣した。謝罪を繰り返す母を、ぼくは生きるために見捨てざるを得なかった。

はじめて歩み寄ってくれた母に対して、せめてぼくがいなくなったあとも寄り掛かれるなにかを用意しておきたかった。だから叔母に、母のケアの引き継ぎを頼んだのだ。もう母が弱音を吐く相手も、それを宥めるのも、ぼくの役目じゃない。ぼくは本来、それを担うべきではなかった。母は子どもであるぼくに、それを担わせてはいけなかった。でも、そうしなければ母は生き抜くことなど到底できなかったことも、また事実なのだ。

今連絡を取っていない母が、そのあとどうなったのかわからない。太陽が燦々と降り注いでいたあの昼下がりはついこのあいだのはずなのに、すっかり肌寒くなってしまったせいでずいぶん昔のことみたいな気がする。

「姉さんのことは私がちゃんと様子見るさかい、ちーちゃんも自分を大事にするんやで」
叔母からLINEのメッセージが、涙でゆらゆらと不安定に揺れる。

母に、生きていてほしい。取り返しのつかないところまで来てしまったのかもしれないし、あまりにも多くのものを取りこぼしすぎてしまったのかもしれないけれど。それでも、自分の人生を生き抜いていってほしい。そしてできれば、もう一度、あの夏の昼下がりから、ぼくは母と新しい関係を築き直したい。
そんな祈りを込めて、ぼくは叔母に「お願いします」とだけ、返事を送った。

この記事が参加している募集

読んでくださってありがとうございます。サポートはFIP闘病中の愛猫エピーの治療費に使わせていただきます。