見出し画像

愛してると繰り返すのっぺらぼう

「愛してる」という単語がぽこんと画面に出現したとき、たぶんこれまでだったらふざけんなサンドバッグみたいに殴って蹴って都合の良い時だけ可愛いがってどのツラ下げて言ってんだよばかじゃねえのってノンブレスで叫んでたはずなのになぁ、とぼんやり思った。

そして考える。これって、どういう感情なんだろ。今まで味わったことのない、知らない種類の味がする。いや、味がしないのかな。無味無臭。

すかすかとか、薄っぺらいとか、口だけとか、そういうのでもない。ただ母の言葉はいつも実際の行動との乖離がすさまじくて、ぼくはぽかんとしてしまう。言葉と行動のあいだの距離、冥王星と太陽くらいある。冥王星は惑星からはずれたらしいね、そういえば。スイキンチカモクドテンカイメイ。

愛してるって、なんなんだろう。あのひとはいったいぼくのなにを知っていて、なにを愛しいと思うんだろう。ぼくとあのひとは、こんなにもわかりあえないのに。

そしてぼくも、あのひとを知らない。あのひとの意見も、意思も、主張も、主義も、思想も、感性も、大事なものさえ、なんにも知らない。

だいたいぼくはあのひとの、いったいなにを愛してたんだろう。なんであのひとの隣で、あのひとの胸で寝たいと想ってたんだろう。

結婚したばかりのとき、夫のとなりでよく泣いた。夫ではなく、母と寝たい。母のやわらかな背中に顔をうずめたり、むっちりした腕に巻きついて眠りたい。およそ25を過ぎた大人とは思えぬほど幼稚な渇望は、しかしながらどこまでも甘美で、一生叶えられぬことがあまりにも悲しくて、さめざめと泣いていた。

幾度となくそうやって夜をやり過ごしてたはずなのに、今ではあの渇望も夢だったような気さえする。夫の目的もなく鍛えられた胸(在宅勤務の会社員なのに、なぜ彼は体をここまで鍛えてるんだろう?)にぺったりと耳をつけて眠る今は満たされてるし、これが母だったらいいのになんて頭をかすめさえしないのだ。

たぶんもう、あのひとから愛されようが愛されまいが、どうでもよくなってしまった。弟より愛してほしいとか、父から守ってほしいとか、そんなふうに焦がれていた気持ちが、舌の上に乗せた角砂糖みたく溶けて消えた。

ぼくがタイで乳房縮小術を受けることが、心配なのだとあのひとは泣く。傷が残ることを想像したら、やり切れないと泣く。ぼくの眼球に針を突き刺そうとしたことも、ぼくの手の甲を木製のハンマーで腫れるほど殴ったことも、きっとあのひとは覚えていない。

愛してる。この単語を打つあのひとの顔を、想像しようとしてみる。それはのっぺらぼうで、ぼくのこころはふよふよ空を泳ぐ。のっぺらぼうなのに、ぼくは焦りもしない。悲しさも悔しさも虚しさもない。

愛してる。それなのに、あのひとはいまだに、ぼくの名前を、あたらしい名前をかたくなに呼ばない。それでもあのひとは、口にしないと死んでしまうかのように、愛してると繰り返すのだ。

この記事が参加している募集

#眠れない夜に

69,218件

読んでくださってありがとうございます。サポートは今後の発信のための勉強と、乳房縮小手術(胸オペ)費用の返済に使わせていただきます。