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「好きなこと」を見つける方法


「書く」で覚えるスッキリ感

最近やっと書くことが好きになりました。
書きながら、ふと思ったことがあります。それは、「自分は文章を書くのが好きなのかもしれない」ということです(得意不得意は置いといて…)。もっと細かくいうと、「文章書くのが好きより」も、書くことによって、「自分の気持ちが整理されていくことが好き」という感じが近いかもしれません。なんだか、糸のように絡みあったような頭の中の思考が、文章を書くことによって一本一本解きほどかれていることに一種の快感、スッキリ感を覚えます。
 

書き続けることで減った「書くことへの抵抗感」

 書き始めて6年が経ちました。最初は書くのがすごく嫌で、書き始めた最初の年は、1枚完成させるのに、1ヶ月かかる時がありました。手が止まっている間に、内容も風化していくし、時間がたつほど、文章が書けないことへの自責の念が強くなり、苦痛な部分が多くありました。それが、6年ぐらい経ち、最近やっと「書くことが好きかもしれない」と思えるようになってきました。
 理由を考えてみると、何度も描き続けることによって、「書く技能」を身に付き、書くことへの抵抗感が減ったからかもしれません。もちろん、まだ「大変だなぁ」って思う時もあるけれど、書き始めてしまえばすぐにそんな気持ちはどこかへいってしまい、それよりもどんどん思考がスッキリされていく快感や『早く、「楽しみにしている」とおっしゃってくれている保護者の方に伝えたい』という気持ちの方が勝っていきます。

サッカーも最初は「嫌だった」

 よく考えてみれば、サッカーも小さい時は好きじゃありませんでした。試合が嫌で、一人でボールを触って遊んでいるほうが、気楽で好きでした。環境や友達に引っ張られて続けていくと、高校生ぐらいから、自分が思ったようなプレイが試合でも実現できるようになり、「これが上手くなるってことかぁ」と上達を自分でも実感できるようになりました。おそらく、体力や技術といったものが、理想を実現することができるレベルまで上がっていったのが、そのときだったのでしょう(かなり遅咲きです)。それ以降は、「自己表現の場」として、生活の中には欠かすことができなくなり、38歳になった今でもサッカーが好きで、続けています。

好きになるまで時間がかかる

 こういった経験から、もしかしたら人は、「好きになるまでに、実はすごく時間がかかる」または、「時間をかければ、何でも好きになれるのかも」と思うようになりました。よく私たち大人は、選択を悩んでいる子供たちへのアドバイスに、「好きなことをやりなさい」といってしまうけれど、経験の浅い子供は「好きなことがある子」の方が少ないですし、「もうすでに好きがあること」はとてもラッキーなことなのかもしれません。「好きなことをやりなさい」よりも「好きになるまでやりなさい」とか「まぁ続けてみなよ」とか「焦ることないよ」なんてアドバイスも、38歳になって、また一つ好きなことができた自分にとっては合っているのかもしれないと思いました。





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