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日日是好日とメメント・モリ~人生の両輪を想像することで真の満足が見えて来る(1)


個人的見解なので、すべての人に当てはまるとは言えないが

仕事や家庭生活、精神面からうるさいノイズを無くすには、メメント・モリ(死を想う)ことが一番有効ではないかと思っている。

・過去の嫌な記憶を捨て切れない
・人が怖い

などの精神的な問題から

・先延ばしの癖をなんとかしたい
・家の中が片付かない
・老後や経済面への不安

といった暮らしの中で生じる不安や怖れ、焦りや苛立ちが止まらない状況で、自分の経験上一番効き目があったのがこの「今、自分が死んだら?」という仮定だった。



生きとし生けるものは必ず死ぬ。しかしそれはいつやって来るのか誰にも解らない。平均寿命という言葉が独り歩きして「自分も80歳過ぎまでは生きるんじゃないかな」と考えている人も多いようだが、数分後に事故に遭って即死するかもしれないのは言わずもがなだ。


もちろん未来を憂いて過度の不安に囚われる必要はないが、メメント・モリは「杞憂」ではない。確実に人間はいつかは死ぬのだ。その事実に恐る恐るでも向き合うことで、社会の求める理想像やイメージに誤魔化されず、自分の本音があぶり出されて来る。

最近は終活ブームで、年配の方々へ向けたお墓や遺言書の広告を見かけるが、何歳であっても自分の死について考える機会を持ってみるべきだ。



誰だって死にたくはない。以前の僕のように、様々な理由でこの世から自分を抹殺したい気持ちに陥っている人もいるだろうが、生き物としての人間は決して自ら死のうとはしない。それは死に間際の身体の中で最期まで何億もの細胞がなんとかこの身体を生かそうと奔走している事実で解る。以前の僕にとって死にたい気持ちは決して嘘ではなかった。だけどもっと正確に言うと「生きていたいが死ぬしかない」が一番近かった。


どうしようもない怒りや絶望を他者に向ければ傷害や殺人となり、自分に向ければ自傷や自殺となる。前者は罪が重く後者は自分への攻撃だから罪にはならないと当時は思っていたが、最近は、実は同じことなのではないかと考えるようになった。

怒りを持て余しながら人に暴力を振るう勇気もケンカの仕方も解らないので自分を傷つけることで気持ちのガス抜きをしていた僕。どうせこの世は嫌なことばかりなんだと自暴自棄になりながら。

振り返ってみるとその頃の僕は、自分の作り出したちっぽけな物差しだけで世界や物事を測っていた。その自覚はあるにはあったが、怒りの感情が抑え切れず脳内で嫌な記憶を蒸し返し続けていた。やがて自分では手に負えないほどの巨大な被害者意識の塊が頭の中を占領してしまい、他人へ矛先を向けきれない僕は自傷だけでなく自殺未遂を繰り返すようになっていた。


しかしそれは自分への暴力でしかなかった。人間の身体の中ではそれぞれ役割を持ったたくさんの細胞達が、毎日休むことなく僕らを健やかに生かすために働いている。自分を傷つけることは、これらの物言わぬ小さな細胞達への暴力、そして裏切り行為と言っても過言ではない。


確かにこの世には生まれつき機能不全の人などもいて、すべての人間が平等に長寿を約束されている訳ではない。だがそんな環境に柔軟に個別対応し、人種や性別に関係なく、加齢による劣化や欠損した肉体の一部を補い、その人に一番合ったフルオーダーの生命維持活動を僕らの身体は毎日絶え間なく続けている。

この奇跡のような仕組みは学校で習ってはいたが、改めて詳しく学んでみると、僕にはそれがどう見ても神、あるいはSomething Greatと呼ばれる存在による「親が子どもを応援している姿」にしか思えなかった。SF小説では人間は神に作られた実験動物というシニカルな設定もあるが、少なくとも現在判明している身体の仕組みからは僕らを長く生かそうする意図を感じる。でなければ免疫記憶などの優れた機能までは与えてはくれまい。僕らはそんな存在から「生きろ」というサポートを常に受け続けている。だから自殺とは、その応援を自ら手放すことなのだ。



僕がまだ自分の中の怒りをどうすることもできず、うっすらと自死を考えていた頃、偶然YouTubeで臨済宗の山川宗玄老師の講話を見つけた。老師のお名前すら知らなかったが、その短い動画から僕は目を離すことができなかった。末期がんで医者から余命宣告されたご婦人のために、その老師がしたためたある言葉を贈ったという内容だった。

自分があと少ししか生きられないことを告げられたその女性は、恐怖と絶望で取り乱し毎日荒れた入院生活を送っていたという。「妻が安堵できるような一言をお願いします」というその女性の夫に、老師は「好日」とだけ書いて色紙を渡した。

その文字を何度も何度も繰り返し見つめているうちに女性の様子は少しずつ変わっていった。表情は穏やかになり、ベッドの上でもおしゃれをするようになった。悲痛な叫び声は消え、ご家族とも笑顔でお話しができるようになっていったらしい。

そして驚くことに女性の体調はすこぶる良くなっていった。今にも退院しそうなくらいに健康的になっていったという。

その後、女性は宣告された余命をはるかに上回る時間を元気に過ごし、その生涯を閉じられた。最期まで穏やかで幸せそうなお顔だったらしい。


この話を僕はボロボロ泣きながら聴いていた。訥々と話す老師の、カメラ慣れしていない感じが余計に僕の敵愾心と疑いの気持ちを解きほぐしてくれた。

その時から僕は「日日是好日」を自分の道標とするようになった。しかし、時が経つとあの動画を見た時の感激はだんだん薄くなっていったので、自分なりにいろいろ試行錯誤した結果「メメント・モリ」(死を想う)の文字を必ず添えるようにした。表に「日日是好日」を書けば裏には「Memento Mori」の文字を付け加えた。

そうして「日日是好日」と「メメント・モリ」は僕が人生に躓くたびに、生きることの素晴らしさと謙虚さを思い出させてくれるようになったのだ。



(2)へ続く




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