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東京暮色(感想)_後味は悪いが前向きに捉えるエンディング

『東京暮色』は、小津安二郎監督による1957年公開の日本映画。
暗い物語のため後味は悪いが、強気な性格を感じさせる美しい顔立ちの有馬稲子が映画としてパッケージングされているのが印象的で、最近のDVDなどはそれが露骨に意識されている。
また、ささやかな楽しみや悲しいことがあったときに、人々がしみじみと酒を煽るのが印象的。
以下ネタバレを含む感想などを。

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男手ひとつで娘たちを育てる苦労

銀行で働く杉山周吉(笠智衆)は次女の明子(有馬稲子)と二人暮らしだったが、周吉が帰宅すると長女の孝子(原節子)が幼子を連れ帰って来ており、夫との折り合いが悪いからと帰ろうとしない。

明子は英文速記の学生だが、どこか浮かない表情で下宿や雀荘を回り木村憲二(田浦正巳)を探している。やっと会えた憲二は明子が妊娠したことから逃けており、約束した深夜喫茶店での待ち合わせもすっぽかす。
夜遅くまで待っていたところを警察に補導され、周吉から叱りつけられた明子は「生まれて来なければよかった」と悲嘆する。

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相談する相手のいない明子は、内緒で金策をして堕胎手術をする。
さらに両親の離婚の原因が母の不倫であったことを知り、自分が周吉の子どもではないのではと疑い、母の相島喜久子(山田五十鈴)に直接問いかける。

明子がラーメン屋で酒を煽っていると、やっとのことで憲二と再会するも、引っ越すことを隠されたまま、口先ばかり心配していることを言われる。逆上した明子は憲二の頬をひっぱたき、店を飛び出したところを汽車にはねられ死んでしまう。

明子はラーメン屋で憲二と再会する前、堕胎後にもなぜ憲二を探していた。憲二も学生なので堕胎費用を催促出来るはずもなく、わざわざ別れ話をするためだけに憲二を探していたのか。
もしくは憲二の態度次第ではヨリを戻そうとしていたのかもと思われ、寂しさを埋めてくれる人を求めていたと考えると切ない。

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その後、孝子は喜久子へ会いに雀荘へいき、明子の死んだことを「お母さんのせい」とだけ告げに行き、喜久子は放心状態で日本酒を煽りながら連れ合いと一緒に室蘭へ行くことを決心する。
孝子は沼田のもとへ帰り周吉が出勤するシーンまで描かれることで、少しだけ前向きな兆しを見せて物語は終わる。

身勝手で印象の悪い男たち

本作が後味の悪い印象を持つのはストーリの展開だけでなく、登場する男性たちの持つ印象が悪いことにもある。

まず憲二は明子を妊娠させておきながら、明子の気持ちを想像しようともせずに自分の都合ばかり話して、明子からは意図的に逃げている。長身で顔は美形だが考え方が幼く人としての魅力に乏しい。

雀荘で淡々とした語り口で事の顛末を解説する川口登(高橋貞二)にもいやらしさがある。上から目線で他人の不幸をネタにして語っているのもそうだが、笑いを取ろうとしているのが透けて見えるのに、どこが面白いのか私には理解できず笑えなかった。

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また、周吉が会いにいく孝子の夫、沼田康雄(信欣三)も一般的な親子の愛情については流暢に語るが、孝子の話題になると歯切れが悪くなって意図的に話題を逸らし、孝子の出ていった理由に自覚があるのに何もしていない様子が伝わってくる。
喜久子の連れ居合の相島栄(中村伸郎)にしたって、「ひとりじゃ寝られないよ」と室蘭行きを懇願する様子がどうにも情けない。

まあしかし、こういった魅力に乏しい男性たちには現実味があって、作品へ深みを与えてくれるのだが。


離婚の負の部分を見つめる

『東京暮色』は尺として2時間20分ほどあって長い。最初この映画を観た際、喜久子が酒場で室蘭行きを決めたシーンを観ながら、ここで物語が終わって物語は悲劇で締め括られるものと思っていたが、その先も描かれており少しばかり明るい兆しを映し出すのと、離婚の弊害が語られている。

喜久子が東京を発つ日、孝子へ見送りに来てもらいたくて喜久子は落ち着かない様子を見せる。孝子は現れないこのシーンでは喜久子に哀れみを感じさせることで、かつて不貞を働いた女に対して同情的な気持ちにさせる。

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そうして孝子は子どものために沼田のもとへ帰ることを決心し、周吉は孫の玩具を穏やかな表情で見つめてから出勤するところで物語は終える。

やっぱり子どもには両親の愛情が必要なのだと思います。
どんなにお父さんに可愛がっていただいても、アキちゃんやっぱり寂しかったんだと思います

孝子から周吉に向けたこのセリフに、私は『晩春(1949年)』での周吉(笠智衆)と紀子(原節子)のやり取りを想起した。

結婚を直前に控えたタイミングで娘の紀子(原節子)が父の周吉(笠智衆)に、「これ以上の幸せがあると私思えない」から結婚したくないと言うのに対して、周吉は辛くても耐えなさいと諭す以下の言葉だ。

幸せは待っているものじゃなくて、やっぱり自分たちでつくりだすものなんだよ
(中略)
1年かかるか2年かかるか、5年先か10年先か。
つとめてはじめて幸せが生まれるんだよ。
それでこそはじめて本当の夫婦になれるんだよ

これは『東京暮色』で長女の孝子が沼田との関係をやり直すエピソードにつながるし、明子が孤立してしまったのは母親がいないことの寂しさが原因と孝子が言っていたのにもつながる。
つまり娘の紀子が嫁に行くシーンで終えた『晩春』の”その後の結婚生活”が『東京暮色』で語られているように思えるのだ。
喜久子へ同情的につくられていることも引っくるめて、夫婦生活には辛いことは多いが、簡単に離婚するべきではないというメッセージに受け取れる。

子どものために離婚せず、女性に我慢を強いるというのがいかにも前時代的に受け取れ、夢の無い話しにまとめられているのはエンターテイメントとしてはどうかと思うが、皮肉な現実が描き出されている。
現代社会でも男女に収入格差があって、シングルマザーは貧困に陥りがちなため、女性の立場が弱い状況が変わらないというのもどうかと思うが。


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