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吹きさらう風(感想)_信念を持って生きる孤独について

『吹きさらう風』の著者はセルバ・アルマダで、訳は宇野和美となり日本での初版は2023年10月、出版社は松籟社。
展開の少ない物語だからうまく感想をまとめるのが難しいのだけど、心へ刺さる満足感のある小説なのは確か。
以下、ネタバレを含む感想などを。

2組の親子を中心にした物語

アルゼンチンの辺境でピルソン牧師はみすぼらしいホテルに宿泊し、各地を転々としながら娘のレニと車で移動しながら布教の旅を続けていた。
ピルソンの奥さん、つまりレニの母とはレニが幼い頃に置いてけぼりにするように別れており、もう何年も二人で車に乗って移動する生活を送っている。

ある日ガト・コロラドという、アルゼンチン北部の車通りの少ない路上で車が故障して動かなくなり、たまたま通りがかったトラックで人里離れた整備工場まで牽引してもらったところから物語がはじまる。

整備工場には髭面の大男グリンゴ・ブラウエルとタピオカと呼ばれる少年の親子がいて、物語は車が直るまでの丸一日の間にこれら4人を中心として進行する。
4それぞれの抱える心の隙間や孤独、さらには日常にふと考えたりする漠然とした不安があらわになる小説は、読後になんともいえない満足感と余韻がある。

だけれども4人以外の事情について語られない素朴な物語は、明確にこれが良かったということを抽出しづらく、自分でもなぜこの小説から満足感と余韻がもたらされるのかを導き出しづらい。
だからこれは現時点での感想でとても漠然としたものになるが、人間がひとりで生まれてひとりで死んでいくことに対して、「誰もが同じ」だと寄り添うにして語りかけてくれる小説だからかもしれないと考えている。

我が子のため、送り出したブラウエル

この小説で起きる大きな展開はたったひとつ、整備工場で働くタピオカがピルソン牧師に説得されて、ブラウエルのもとを去るということだけ。

ブラウエルは生きていくうえで宗教を不要と考えており、自身の経験から導き出したことを信じており、自然との向き合い方を大事にする。
ある日前触れもなくやってきた娼婦の女が、ブラウエルの子だからと置いていった幼いタピオカを育てるような優しさもある。

しかしタピオカにとっての行動範囲は整備工場とその近辺にとどまっており、学校にすら通っていないから世界の様々なことを知らない。

そんな知識の乏しいタピオカに対して、入信を勧めるピルソン牧師のやり方は少し強引に感じられる。
ピルソンは牧師だから、自身の考えを正しいと信じるからこそ入信を勧めるのだが、世界の終わりや天国の存在を語ることでタピオカの漠然とした不安につけ込んでいるから、それはある意味脅迫にも近い。

純朴な少年を説得することなど容易いことだろうことは、ピルソンが話術によって稼げる牧師だというエピソードから分かるし、実際近しい人間はピルソンを嘘つきだと思考えているフシがある。

彼が説教壇からおりるたび、母は真っ先に駆け寄ってきて彼を抱きしめた。
「みんなすっかりひきこまれてたよ」と、ウィンクして言った。
母は彼が嘘をついている。息子は大嘘つきだ。言葉への並外れた才能のおかげで、住む家と食べ物をもらえていると思っていた。
だが、そう思っていたのは母だけではなかった。上位の聖職者や、あの説教師までもが-じきに気づいた-、金の卵を産む鶏にめぐりあったと思っていた。彼の口から出る一言一言で、教会の献金箱に硬貨の雨が降りそそいだ。

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ただ先述したとおりタピオカにとっての世界は狭く、このままブラウエルのもとに居続けたら、整備工場で変化の少ない一生を終えることになるかもしれず、そうするとまだ若いタピオカの可能性が狭い世界で閉じてしまう。

つまり脅迫めいたピルソンのやり方は不味いと思うけれど、それによってタピオカの世界が広がることは、タピオカの望みではあるのだ。

だからこそ、これまで育ててきたタピオカを行かせたブラウエルの決断は重い。しかも、突然整備工場へ残ると言い出したレニに対して「ここには俺と犬の場所しかねえ」と強がりもする。
なにしろ体力的に老いを感じはじめているブラウエルには、タピオカが去ってしまったら今後話し相手すら居なくなってしまうのだから。

孤立していると思われるピルソン

タピオカを見出したピルソンも恵まれた環境に育ったわけではない。
ピルソンに父親のエピソードはなく、牧師になってから稼げるようになったが、幼い頃に母親から捨てられる恐怖を抱えていたから恵まれない環境だったことが想像される。

そのせいか、ピルソンは他人とコミュニケーションを取る際の距離感が親しい人ほど遠いように思えるのだ。
そもそも地上のあらゆるものすべてが神によってもたらされたという前提で他者と話すから、信仰心の薄いブラウエルのような人間との会話にはすれ違いが生じる。
車のエンジンに異音が感じられるから修理に出そうというレニの提案も、神の意志を引き合いにして、自身の意見を強引に押し通すやり方も信頼関係のある親子のやり取りとは思えないし、上位の聖職者ですら金の卵を産む鶏という認識だ。
さらに理由は語られないがレニの母親とは旅の途中で置いていくようにして別れており、レニ自身もやがてピルソンのもとを離れていくつもりでいる。

またピルソンによる人ならざる存在が乗り移ったかのような説教は、聴いている人々が集団催眠にかかっているよう。それはまるでライブパフォーマンスをするアーティストのようだ。
つまり優れた話術を持っているが故にピルソンにカリスマ性はあるものの、他者との対等な関係であったり信頼関係を築けていないように思われ、だからこそ、タピオカを連れていくことにこだわったとも考えられる。

話術は所詮は術であって、上っ面だけのものだ。
タピオカにしたって、やがてはレニのようにピルソンのもとを去っていくのかもと考えてしまう。
しかしブラウエルとの殴り合いには魂と魂のぶつかり合いというか、本音をさらけだした人間同士のコミュニケーションのようでもあって、ピルソンの行動で最も心を揺さぶられる場面だった。


多くの人はなんらかのきっかけ、または折り合いをつけて仕事を選択することで日々の糧を得、やがては家族とも別れてひとりになって死んでいく。
必死になって仕事へ取り組んだとしても、たいていの仕事は代わりがいくらでもいて、自分がいなくなっても何とかなるようなものばかりだ。

そのような人生は後悔や悩みばかりでなく、たまたま偶然出会った人たちと心を通わせる瞬間もあったりする。そういう何気ない出来事の描写が美しいから読後に深い余韻を残すのかもしれない。

また、個人的に一番好きなエピソードはレニが「宗教音楽だけを聴くから」と買ってもらった音楽プレイヤーでラジオを聴くところ。
旅暮らしで、唯一の娯楽ともいえる音楽を聴くことはレニにとって貴重なプライベートな時間と思われ、そんな時間をタピオカとイヤホンを片方づつ共有する。
こんなささやかなことですら幸せを感じることに羨ましいと感じてしまう。

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