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衿沢世衣子 光の箱1巻(漫画感想)_闇の中に存在するコンビニが生死を分ける境目

「光の箱」は2020年7月発行の衿沢世衣子のコミック。光の箱、すなわち夜のコンビニで繰り広げられる不思議なコメディが6話収録されている。衿沢世衣子の漫画は何冊か読んでいるけど、その中でもこの作品はけっこう好きかも。
以下、ネタバレを含む感想などを。

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生死の間をさまよう人の訪れる不思議なコンビニ

このコンビニ、まず店長と新人バイトのタヒニが人間ではない。人間のアルバイトのコクラは、それらを「魔の人々」と呼んでいるが詳細な説明は一切無い。

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訪れる客はというと、人ではない常連(外見は人間そのものだが)と、生死の間をさまよっている人間となる。要は過労死や交通事故によって死にかけの人が訪れるコンビニとなっており、人々はそれぞれに思い思いの品物を購入して三途の川を渡るか、現世へ戻ったりする。
つまり、このコンビニは生死を分かつ最後の分岐点となっており、客は立ち読みだけで2週間または、おにぎり選びで5日間悩む人もいたりもする。

コンビニのは外は真っ暗な闇ということだが、実は本屋もコンビニの向かいにあることが明らかになる。
タヒニ曰く「死に際に立ち寄りたいのがコンビニという人ばかりではないでしょう」とのことなので、どうやら生死の境をさまよっている人が三途の川を渡る直前に最後の望みを叶えるためにコンビニへ寄っているようだ。

闇の中にたたずむコンビニは何のためにあるのか

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店長による「死ぬ直前にささやかな望みを叶えてあげたい」という目的もあるだろうが、作品中以下6人の人間が店長によってその生命を救われたり、アルバイトに従事することで延命させられることになる。

・働きすぎのOL
・優柔不断なユウト
・大学の研究室にいるコクラ
・アカリとその友達
・工場勤務の小桜

それぞれが店長のおせっかいとも取れる行動によって救われるわけだが、生死の境をさまよう人々を救う。または現世へ引き返せる最後場所のがこの夜のコンビニの役割といえる。

現実のコンビニエンスストアでは、郊外の住宅街にあるコンビニが特にそうだが、ビジュアル的には夜の方がその存在感を増している。それは暗闇のなか、多数の蛍光灯によってひときわ明るく輝く建物はそこにあるだけで視覚的に安心できるからだ。

小腹がすいたり喉が渇けば深夜であっても、とりあえず欲求を満たせるものが何らか陳列されている。しかもそういう時に口に入れるものはなぜか美味いのだ。さらに新商品が毎週投入されており、POSシステムによって商品ラインナップに無駄が無いので、特に用がなくても立ち寄りたくなってしまうように仕組まれている。また、深夜であれば店内の人もまばらで、その静かな空間に身を置くだけで僅かだが癒やしの効果もあるような無いような。

いずれにせよ、人の死という重くなりがちなテーマを世俗的なコンビニ空間を通過儀礼とする脱力感がいかにも衿沢世衣子作品ならでは。重くなりすぎず適度に笑えるコメディにまとまっているのが心地よい。

人との関わりの薄いコクラと、顔に感情が現れるタヒニ

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研ぎ澄まされたマニュアルによって整備された接客が特長のコンビニは、商店街にあるような個人経営の店と比較すると無機質でシステマチックになってしまいがちだが、このコンビニはやたらと人情溢れる空間になっている。

生死の境にいる人の集う場所だから情けをかけたくなるというのもあるだろうが、他者への親しみを失わないコクラと、感情が顔に出やすいタヒニによる部分が大きい。
現実のコンビニでもそうだが人が棚を整備して、人がレジ打ちをしている限りは、帰り道にちょっと立ち寄りたいなと思うのだ。
そういう意味では、この漫画のようにドグマ精工の導入しようとしたAIによるセルフレジが普及して無人のコンビニばかりになったら嫌だなと思う。
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最後に気になったことを備忘としてニ点。
一つ目がタヒニのネーミングの意味。タヒが「死」のもじりなのはわかるとして「ニ」を付けた意味はなんだと思ってタヒニで検索したら、中東の伝統的な食材であるゴマをペーストした調味料のことを「タヒニ」というらしい。確かに中東っぽい顔立ちではあるがタヒニに馴染みが無さすぎてよく分からない。この名前に何か意味があるのか。

あと最後のシーン、コンビニの屋根からこちらを見ているコクラ、闇ネコ、タヒニのシーンで終わるが、屋根上に登れるコンビニなんて現実には見たことないので違和感がある。これひょっとしたらつげ義春の『李さん一家』の最後のシーンへのオマージュだろうか(んなわけないか)

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