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赤い魚の夫婦 (感想)_見過ごしてしまいがちな、小さい違和感を露に

『赤い魚の夫婦 』は、現代書館から2021年8月に刊行されたメキシコの作家、グアダルーペ・ネッテルによる5つの短編小説で訳は宇野和美。
少し暗い雰囲気の短編には、様々な生き物または菌が登場人物の境遇や心のありようにイメージが重ね合わせられている。
以下、特に印象深い「赤い魚の夫婦」についてのネタバレを含む感想などを。

赤い魚の夫婦 ー 狭い世界に閉じ籠もる様子が、二匹のベタに重ね合わさる

物語はパリに夫婦人で暮らす女性「わたし」のモノローグで進行する。出産間近を間近に控えて不安定になっていく「わたし」と夫のヴァンサンの心が徐々に離れていく様子が、友人からプレゼントされた二匹のベタ・スプレンデンスによって比喩的に語られる。

ベタはオス・メス一緒に金魚鉢で飼育されており、やがてオスがひれを広げて交尾をほのめかすようになるも、メスは受け容れようとせずにストレス反応を示す。しかもベタは闘魚と呼ばれるほど好戦的で、小さな水槽で飼うにはリスクの大きいことが分かった。

いっぽうヴァンサンは、市場でオレンジを買いたいというのを強く否定してきたり、子ども部屋の壁紙貼りのうまくいかないのを「いじけた被害者ばかりするなよ」となじったり、言葉にどこか棘がある。
さらに女性を見下す発言も気になるようになり、メスのベタがストレスを感じる様子に自分の境遇を重ね合わせた「わたし」は、大きい水槽を購入して二匹のベタの様子をよく観察するようになる。

やがて無事に娘のリラを出産するも、「わたし」を取り巻く状況はさらに悪化していく。職場復帰しようとかつての職場へ連絡するも、代わりの若い弁護士を雇ったせいか、やんわりと復帰を断られて産休期間を延ばすことになってしまう。
コミュニケーションの相手はヴァンサンが中心になるも、仕事をせずに家にいるんだからと育児を妻に任せようとする態度が透けてみえ、見下すような発言や態度にストレスを溜め込んでいく。

夫婦関係の終わりが決定的だったのは、娘が熱を出したのにヴァンサンは連絡が繋がらず同僚たちと打ち上げに行ったことだ。
ヴァンサンには夫婦間で諍いがあったとしても、職場の人と話せば息抜きが出来るが「わたし」は家にしか居場所が無く、愚痴を聞いてくれる相手すらいない。
職場復帰を拒絶されて生活範囲が狭まり、家の中に世界が閉じてしまって視野が狭くなった「わたし」の自尊心はやがてボロボロになっていく。

赤い魚の夫婦 ー すり減っていくわたし

二人の夫婦関係が悪化していく様子は、大きな水槽ですら共存出来なかった二匹のベタのようで、ある時メスが死んでしまう。

「おとなしそうなのにしよう、好戦的なのじゃなくて。無関心で、自分から何もしようとしないようなの」。わたしも言った。

代わりに再度オスのベタを飼うことになり、オブローモフと名付けるのだが他の魚ではなく懲りずにベタを飼うのは、関係が悪化しつつも夫婦関係を継続させる意志と重ね合わせているかのようだが、同居している夫婦がお互いに無関心でいることでうまくいくはずもなく、やがて「わたし」はヴァンサンと別れて故郷のボルドーへ帰ることになる。

「わたし」がヴァンサンの態度に対した感じた不満は、些細なことが多く誰かに相談してもまともに取り合ってもらえないようなものが多い印象だ。こういうのを気にせず見逃せたなら、どんなに楽に生きていけるだろうと思う。
恐らくそういう態度を気にしない女性もいるのだろうが、「わたし」はそういうタイプの人間では無く、本人が自覚すらしていない小さな出来事ですら、負荷が積重なったことで確実にすり減ってしまったようだ。

ひっそりと不穏な空気が漂う短編

他4つの短編もどこか不穏な雰囲気になっていて、後味の悪い物語にはなんらかの生物または菌が比喩的に登場する。

『ゴミ箱の中の戦争』では、大好きな母親が育児を出来なくなったことで叔母に預けられるのだが、少年の孤独が忌み嫌われているゴキブリに重ね合わせられている。

『牝猫』では、望まぬ妊娠をしてしまったことで、進路を思うように決められなくなる様子と対比的に、自ら選択して行動する飼い猫が登場する。

『菌類』では、不倫相手に依存し過ぎたことで正気を失っていく女が、性感染症の菌を飼い慣らす異常な状態になる。それでも相手に迷惑をかけまいとする判断する様子から、気味の悪い狂気が感じられる。

『北京の蛇』では、父親が運命の女性に出逢ってしまったことで精神を病んでいく様子が、メスと引き離されて毒殺される蛇になぞらえている。

誰しもが遠からず身に覚えがありそうな出来事を題材に、著者の繊細な感受性によって様々な違和感がすくい取られることで、普通に暮らしているだけなのに、いつの間にかまともな判断が出来なくなっていく様子が怖い。

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