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不思議惑星キン・ザ・ザ(映画感想)_とぼけた笑いをさそう怪作

『不思議惑星キン・ザ・ザ』は1986年にソビエト連邦で公開されたSFコメディの映画で、監督はゲオルギー・ダネリヤ。
2001年にユーロススペースで鑑賞した際、入場時に「クー」とやればいくらか割引されたはず。なお、2013年には『クー! キン・ザ・ザ』として同監督がアニメ化もているがそちらは未視聴。
以下、ネタバレを含む感想などを。

いきなり異星に場面転換

80年代冬のモスクワ、妻・子どもと3人で住まうマシコフは、妻からパンとマカロニを買って来るよう頼まれる。

外に出ると、ジョージア人学生のゲデバンという青年に話しかけられ、自分は異星人と言い張るホームレスから話しを聞き、試しにその男の持っていた空間移動装置を押してみたところ、2人はキン・ザ・ザ星雲にある砂漠の惑星プリュクへ瞬間移動してしまう。

日本の特撮やアニメなら、画面が渦巻き状に吸い込まれたり、星がトンネル状に通り過ぎたりする、異星への移動演出があったりするが、凝ったギミックは一切何もなくただ画面が切り替わっていきなりの砂漠へ場面転換。
しかも映画全体では2時間以上の尺があるにもかかわらず、異星人による簡素な前振りだけで開始僅か5分ほどでどこかの星へ飛ばされる展開が意表を突く。

2人はその星で出会った旅芸人のウエフ(太め)とビー(ビー)と一緒に旅をしながら地球への帰還を目指すという物語。
プリュクの住人は地球に住まう人間と同じような外観だが、挨拶は「クー」と言いながら腰を落としていたり、小太りのおじさんが狭い浴槽で楽しげに鼻の下の鈴を鳴らしていたりと予測不能で脱力感を感じさせる。
作品全体を要約すると惑星プリュクの住人がひたすらボケ倒すのを、2人の地球人がそのボケをスルーまたはツッコむというシュールな笑い満載のコントのような映画。

低予算のB級映画といった印象で、そもそもソ連の映画など他に観たことが無いから比較のしようも無いのだが、欧米の映画とは明らかに異質の脱力感を誘う笑いには、なんともいえない魅力がある。

狡猾で嘘だらけな惑星プリュクの住人

惑星プリュクにはチャトル人とパッツ人という人種がいて、そこには地球とは異なる独特のルールがある。
チャトル人の方が格上だから、パッツ人は鼻に鈴の着用を義務付けられており、階級はステテコの色で変わり、マッチが高価なものとしてやり取りをされているなど、理解不能で理不尽な常識がまかり通っている。

意味不明な設定への親切心なのか本編では1時間ほど経過すると小休止して『チャトル=パッツ語小辞典』なるコーナーが設けられる。

カツェ:マッチ
ツァーク:鼻用小鈴
エツィフ:囚人ボックス
エツィロップ:権力者
ぺぺラッツ:宇宙船
キュー:公言可能な罵倒語
クー:残りの表現全部

クーの「残りの表現全部」という説明だけを見ても80年代の作品とはいえ、恐ろしく設定の雑なSFだ。
腰を落として手を上広げながらする「クー!」のポーズには敵対心の無いことをアピールし、相手に屈服しているような屈辱感があるが、トボけたポーズにはどこか相手を小馬鹿にしたような印象もある。しかし何度も見ているうちに真似したくなるなってくるから不思議。

そうしてプリュクの住人はとても自己中心的で卑しい。資源の枯渇して生きるのに必死なせいか利他的な行動をすることはなく、どんな些細なお願いでも対価を求めてくる。
さらに嘘つきで「それを拾ってくれ」や「調べてくる」などと、相手を油断させておいて、地球人二人を何度も置いて行くのはもはやお約束。

原始的な服装は汚れが目立って不潔で、警察のような役割のエツィロップは賄賂を要求してくる世界観はまるでディストピアだが、ソ連邦時代ならではの市民による政府への風刺だったのかと邪推したくなるほど格差があって救いが無い。

中心になる4人の個性

途中眠くなるほど物語はほとんど進展しないが、それでも最後まで観続けられるのは主な登場人物4人の個性が際立つから。

おじさんこと、マシコフは苦み走った顔の整った中年のおじさん。肝心なところで大量のカッツェを奪われるポカをやるものの、頭の回転は早くてアドリブがきく。

しかも地球へ戻れるチャンスが訪れたのに、ウエフとビーを単身助けようとする義理堅さがあり、異星に飛ばれされるという前代未聞の苦境に陥っても何とかなるさと、気持ちを切り替えられる前向きさには逞しさまである。

ゲデバンはギョロ目のいかにもコメディアンといった顔つき。手癖が悪くて何度も懲りずに惑星のものを持って帰ろうとする。エツィロップから武器を奪って立場が逆転すると、途端に上から目線になるのはある意味、人間の本性を表しているかのようでもある。

コロコロとした体型のウエフと、のっぽのビーも他の住人同様に嘘つきで、何度もマシコフとゲデバンを見捨てるが、リスクをおかしてでもカツェが欲しいのか、はたまたエツィロップから救ってくれた恩返しだったのか、一度はサボテンになってまで2人の地球人を助けてくれたり。欲望に忠実で互いを必要としている様子が微笑ましくてどこか憎めない。

それまでの苦労は何だったのか

長く困難だった地球への帰還は、時間遡行と空間移動という『それまでの苦労が何だったのか?』と思う禁じ手というか裏技によってあっさり解決する。

苦楽をともにしたマシコフとゲデバンだったが、記憶を失っているためモスクワの街角で再会しても、軽く道を尋ねるやり取りだけですれ違ってしまう。

しかし心の奥底には消しきれない記憶が残っていたのか、清掃車の警告灯を目にした瞬間、2人は同じタイミングで振り返って「クー!」をする。
互いの表情は、苦楽をともにした者だけが共有できる安堵の表情となるが、その瞬間に深い感動や達成感は無く、くだらない映画を2時間通して観たという脱力感だけが余韻として残る。
雑でくだらないがこれも映画。そうして個性が強すぎるからこそ誰かと共有したくなる魅力に溢れた映画。


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