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ストーナー(感想)_心に沁みる、素朴な男の生涯

『ストーナー』の著者はジョン・ウィリアムズで訳は東江一紀。
本書が本国アメリカで出版されたのは1965年。一部の愛好家に細々と読みつがれてはいるのみだったが、2011年にフランスの人気作家によって翻訳されたことをきっかけにヨーロッパ各国で訳書がベストセラー入りを果たしたとのこと。
大学の助教授として一生を終える男の物語は劇的ではないが起伏があり、美しい文章の翻訳もあいまって何度も読み返したくなるような叙情的な小説となっている。
以下、ネタバレを含む感想を。

理解は出来ずとも、子どもの意志を尊重して送り出す両親

ウィリアム・ストーナーは1891年にアメリカのミズーリ州中部ブーンヴィルの農家の子供として生まれる。兄弟はなくブーンヴィルから出たことも無いような質素な生活をしていたが、農事顧問の助言を受けた父の勧めによりコロンビアにあるミズーリ大学へ入学する。

土地が痩せていく一方なので、家業の農業を学ぶために農学部の新入生となったのだが、やがて煩わしいと思っていたはずの英文学にのめり込むようになる。
きっかけとなる講師のアーチャー・スローンからシェイクスピアのソネットの意味を問われたシーンが印象深い。

机のへりを固く握り締めていたストーナーの指から力が抜けていく。てのひらを下に向け、改めて自分の両手に見入ったストーナーは、その肌の茶色さに、爪が無骨な指先に収まるその精緻なありかたに、驚嘆の念を覚えた。見えない末端の静脈、動脈を血が巡り、かすかではかなげな脈動が指先から全身へ伝わっていくのが、感じ取れるような気がした。

ソネットの意味について問われたストーナーが言葉に出来ないほど強い自我を覚えた瞬間の描写と思われるが、後にスローンから「きみは恋をしているのだよ。」とわざわざ指摘されていたので、本人が自覚していたのか怪しくいが、静かな衝撃があった。

やがてストーナーは農業ではなく教職を目指すわけだが、世の中のたいていの人は「自分の本当にやりたいこと」を見つけるのがとても困難だ。ストーナーの場合、それを導いてくれる人に出逢え、さらに一生の仕事にできたのだからとても幸せなことだと思う。

だがその決断は同時に農場を継がないことも意味するため、苦労して大学へ送り出してくれた両親にギリギリまで言い出せなかった。
両親の落胆した様子がひどく切ない。どれだけ言葉で説明したところで、ずっと農業だけをしてきた両親には学問を学ぶことの喜びや意義を理解するのは困難だろう。

だからこそ息子の意志を尊重し、農場は二人で何とかするからとストーナーを送り出してくれる父親の優しさに胸が熱くなる。
親は子供の人生に方向性を指し示すくらいは出来るが、進むべき道を見つけた子供の未来まで決めるべきではない、ということを教えてくれているかのよう。

順風満帆とはいえない結婚生活

大学に残ったストーナーは一目惚れしたイーディスと結婚し、娘を一人もうけることになるも結婚生活は幸せなものではなかった。

召使い付きの立派な家で何不自由なく暮らしてきたイーディスは世間知らずで、外面を気にし過ぎる。さらに精神的に不安定なところもあって、育児や家事をこなすことが出来ないからストーナーの家事の負担が増える。
やがて娘のグレースが学校へ通えるくらい大きくなると、イーディスによって家に居づらくされたストーナーは大学にいる時間が増えることになる。

そして教師としての仕事に充実感を覚えるようになるも、学科主任に就任したホリス・ローマックから疎まれてしまい、受け持つゼミを新任講師並にされたりと執拗な嫌がらせを受けるようになる。

そんな過酷な状況だったから、43歳のストーナーが自分に好意を持つキャサリン・ドリスコルと不倫関係になり、イーディスとは育むことの出来なかった深い愛情を抱くようになるのは自然な成り行きだったが、最初に抱き合う二人の怯えるようなぎこちなさが心に沁みる。

ストーナーは自分の体がわなないていることに気づき、少年のようにぎこちない足取りで、テーブルの横を回って、キャサリンの隣りに坐った。おずおずと、ぎくしゃくと、ふたりの両手が互いを求める。しゃちほこばった不器用な動きで、ふたりは固く抱き合った。そして、長いあいだ、動かずに坐っていた。少しでも動けば、抱擁によってふたるの体のあいだに封じ込められた不思議で悲痛な何かが逃げてしまいそうに思えた

良いことと、悪いことが交互にくるような日々

この小説は20世紀のアメリカが舞台になっており、この時代に起きた象徴的な出来事そのもの、またはそれによって人があっさり死に、物語へ暗い影を落とす。
ルシタニア号がドイツの潜水艦に撃沈されたことをきっかけにアメリカも大戦に巻き込まれ、周囲の人々の士気が高まるもストーナーは徴兵を断る。
それを非難した親友のデイブ・マスターズが戦死したり、大恐慌の煽りを受けて銀行の頭取だったイーディスの父は自殺をする。
時流にのまれて死んでいった2人の死に方は、周囲にあまり振り回されないストーナーのマイペースな様子と対照的に見える。

私生活では妻イーディスとの関係は死ぬ間際までわかりあえず、娘のグレースは息苦しい家を出るために若くして妊娠、職場では学科主任になったローマックスから嫌がらせを受け続ける。
グレースの可愛らしさやキャサリンとの出逢い、それに教師としての充実感など、稀に良いこともあったりするが、ストーナーの忍耐強い性格が印象深い。
まるでこれこそが人生だと思えるような、良いことと悪いことが交互にくるようなそんな日常の繰り返しが続く。

そんなストーナーの生き様に憧れるのは、周囲の人間に振り回されず淡々と日常をこなすところにあると思う。

少し横道に逸れる。
電車でどこかへ出掛ける際、特に顕著に感じるのだがここ10年くらいで広告面の数や種類が増えた。
電車内さらには駅構内の案内板や柱まで、視界のあらゆる場所に広告が表示されるようになった。
静止画ならまだ良いのだが、それらは動画で流されされるから見たくなくとも”視界内に動くモノ”が入るから無意識に目で追ってしまう。
ではスマホでも見てやり過ごそうかと思うと、Webブラウザも広告で溢れかえっている。

内容としては、ダイエットやムダ毛処理、健康食品、自己啓発本等々。。。どれも誇張された表現で訴えてきて「こうすることが幸せ」と言わんばかりの価値観の押し付けに辟易とさせられる。
そうして、そんな広告の与える価値観に染まった誰かから、「アナタも同じようにしなさい」と同調圧力を受けるとさらに嫌な気分になることも。

ストーナーは学生時代には畑仕事と勉強を同時にこなす勤勉さがあり、職場で嫌がらせを受けても耐え忍ぶことが出来る。さらには妻が家事を放棄しても受け入れて、仕事と同時に育児や家事もこなす。
必要以上に周囲の意見に耳を貸さないから少し偏屈なところもあるのかもしれないが、周囲の雑音に流されずに困難な境遇を受け容れて、多くを望まない生き様に憧れるのだ。

そんなストーナーの物語は劇的なものではないが、自らの望む職業に就け、愛する人にも巡り会えたのだから概ね幸せなものだったと思う。
平凡で素朴な男の物語は、ため息の出るほど美しい文章で書かれているから途中で退屈することは無く読めて翻訳の素晴らしさも際立つ。

穏やかな起伏のあるストーナーの人生には読む側の年齢によっても共感出来るところに変化があると思われるから、数年後にまた読み返したいと思った。

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