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カステラ(感想)_社会生活の生きづらさを軽く笑い飛ばす

『カステラ』の著者はパク ミンギュで、訳はヒョン ジェフンと斎藤 真理子となり日本での初版は2014年、出版社はクレイン。
本作には韓国で若者が社会生活を送るうえでの生きづらさを感じさせる短編が11収録されている。
以下、全体を俯瞰しての感想と特に印象深かった短編2つを中心にしたネタバレを含む感想を。

軽い文体で表現された短編集

収録されている短編は最後の「朝の門」のみシリアスだが、他はどれもノリが軽くて雰囲気が似ている。
韓国社会における若者の生きづらさや、その原因となる社会問題を皮肉とユーモアで風刺した内容になっており、格差問題や若者の貧困については日本でも似たようなことがあるため共感できるところもある。

韓国は2003~2021年の期間においてOECD加盟国での自殺率が最も高い。さらに出生率は低く高齢化率は2045年には日本を超えて生産人口はさらに減るともいわれている。
また外交では、中国、ロシア、北朝鮮が近隣にあって、海に囲まれた日本よりも難しい舵取りが求められる。その他にも財閥に資産が集中することで格差が拡大している、極端な学歴社会など、ニュースで流れてくるようなことは知識としてあるが、私が韓国の社会事情に疎いため残念ながら各短編が何について風刺しているのかを理解出来ないこともあった。

「朝の門」は集団自殺と望まぬ妊娠をテーマにした暗い文体だが、その他ほとんどの短編ではそのような閉塞感を軽く笑い飛ばすような文体になっている。
主人公はたいてい自虐的な若い男で、各短編のボリュームは少なめ。ユーモアの要素が多めだからサクサク読める。
むしろ気になるのはバミューダトライアングルとデュラン・デュランを紐づけたりと、それぞれの単語にどういう関連性があるのか?という理解が追いつかなくなることがしばしばあることだった。
そもそも関連性の無い単語同士をくっつけること自体を楽しむべきなのかもしれないがそのあたりは不明。

11ある短編で特に印象深かったのは「カステラ」と「甲乙考試院 滞在記」となり、上記のように理解しづらいことが少なくリアリティとユーモアのバランスも良いと感じた。

カステラ:文字のみの表現方法ならではの荒唐無稽さ

『カステラ』は大学生の僕が「長持ちさせた方が良い大切なもの」と「世の中にとって害悪なもの」を、耐えがたいほどの騒音を発する冷蔵庫へ放り込んでいくという話し。

冷蔵庫の現実的な容量は無視されており、例えば象を入れる方法は以下の通り簡略化されている。

象を冷蔵庫に入れる方法
1.ドアを開ける
2.象を入れる
3.ドアを閉める

冷蔵庫へ象を入れる具体的な手法やサイズについては説明されず、なんならこの後には中国などの国もまるごと入る。このあたりは絵柄が不要でいくらでも描写を省略できる小説ならではの表現となる。

少し意外だったのは害悪の象徴として、早めの段階でアメリカが挙げられていたこと。先述したとおり外交で難しい舵取りを求められる韓国には在韓米軍が駐留しており、合同の軍事演習も行うが駐屯費用の負担もあって反米感情もあると思われ、日本同様に駐留するアメリカ軍に対する感情は複雑だ。

その他にも五種類のおにぎり、急行バス、失業者、国会議員、両親など様々なものや人が冷蔵庫へ放り込まれる。
空想とはいえ自分の気に入らないものを、ひとつの容れ物にどんどん放り込んでしまえるのは何やら痛快だ。

とはいえ一緒に「長持ちさせた方が良い大切なもの」も放り込んでおり、そこには長持ちさせたいという願望があると思えるが、そんなことをしたら大切なものが必要になった際にいちいち取り出すがかえって面倒に思えて不可解。
これは冷蔵庫を何でもかんでも一緒くたに記憶へ留めておくべき装置(日記のようなもの?)に例えているということだろうか。

やがて騒音を発していた冷蔵庫は静かになり、開けてみると白く清潔な皿にのった一切れのカステラだけが入っている。
カステラが何の比喩かは分からないがいずれにせよ、(そんなことは分かり切っているが)ここですべてが妄想だったことが印象付けられる。

その甘くソフトな香りのカステラを食べた僕は、すべてを許せるような味に涙を流していて、少し切ない印象も受ける。
それはつまり大学生だった僕が、世の中の理不尽なことと折り合いを付けられるような大人になったということで、涙の意味はその過程で失った自分の感情や思いへの寂しさだったのかも。

甲乙考試院 滞在記:同じように貧しい境遇の人が一緒に暮らすこと

『甲乙考試院 滞在記』では叔父の詐欺によって、父の会社が不渡りを出して借金まみれになったため、三流大学生の僕は敷金なしで借りられる「甲乙(カブル)考試院」に引っ越すことになる。

考試院という言葉を知らなかったので少し調べてしてみた。
ベッドや机・シャワー室などといった住むのに必要最低限の設備からなるワンルームタイプの住居のことで、軽食としてご飯とキムチなどが用意されていることもあるという。
ソウルは賃貸契約する際の保証金が高額で、月5万円の家賃の物件でも保証金が50万円かかったりもするというから、敷金無しで部屋を借りられる考試院は破格なのだろう。

本来は「考試」という名前のとおり国家試験の勉強をするところだったが、実際は日雇い労働者や風俗店の従業員などがアパートとして使っており、部屋には窓が無く棺桶のように狭い。
洗面所とトイレと洗濯機は共用で、炊飯器には炊いてから時間の経っている不味そうな飯が入っている。

隣人のキム検事と呼ばれる男はこの考試院最後の受験生で最年長。物音に敏感で放屁をするのにも気を遣うほどの薄い壁で仕切られているためもはや同居に近い。

バイト先のビアガーデンに客としてやってきたキム検事に対して、僕は自らの境遇を説明したうえで法律的なことを訊いたら、同情はおろか法律的に正しいか否かの判断すらせずに「借りたカネは返さないとな」と、バッサリ斬ってくるのは笑いどころ。

そんな過酷な状況で家族と離れ離れになった僕は孤独を覚えるが、それでも徐々に考試院へ適応していき、そこで2年6ヶ月を過ごしてやがて卒業、就職をして結婚までする。
僕はそんな自らの人生を「運が良かった」と振り返り、甲乙考試院での生活を懐かしく振り返る。

共用部分は不潔で、隣人と仕切る壁は薄く、寝るのに足を伸ばすことも出来ないほど狭い個室というのはかなり過酷な環境だ。
そして住人たちは国家試験の浪人、水商売で働く女など、事情は異なるもお金に余裕が無いという共通点がある。

赤の他人と共に暮すというと、シェアハウスや寮生活が連想される。住居に金をかけたくない、またはかけられない境遇の人同士で集団生活をすると、互いの境遇が似ているからこそ共感できることもあって、若ければひとつの経験として楽しめることもあるだろう。

そういうリアルな人間同士のコミュニケーションは、プライバシーや個人が尊重されてリアルな人間同士の関係性が希薄になりがちな現代からすると、無いものねだりなところもあって、なんだか少し羨ましくも思うのだ。


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