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永遠のモータウン(感想)_ヒット曲量産の影にいた人たちの逆転劇

『永遠のモータウン』は2004年5月に日本公開の映画で、監督はポール・ジャストマン。
この映画は1960~1970年代前半のモータウンサウンド黄金期を支えた、スタジオ・ミュージシャンだったファンク・ブラザーズにスポットをあてた音楽ドキュメンタリーとなっている。
以下、ネタバレを含む感想を。

不当に低かった知名度

ファンク・ブラザーズとは、ベリー・ゴーディー・Jr.の創設したレーベルに集められたスタジオミュージシャンたちのことで、自動車生産の工業都市として発展していた1950年頃のデトロイトには、各地から多くの労働者が集って来ており、メンバーもアメリカ各地からやってきていた。

1960年代、モータウン・レコードからはファンク・ブラザーズの演奏にのせて数多くのヒット曲が小さなスタジオの『ヒッツヴィル・USA』で日夜録音されていたが、メンバーは金銭的にあまり恵まれず、一流のミュージシャン達からのリスペクトは受けるものの、一般的な知名度はとても低いものだった。
何しろヒット曲への貢献度は多大であるのに、会社がはじめてミュージシャン名をクレジットしたのが、マーヴィン・ゲイ『What's Going On』1971年だったというのが驚き。
しかも、翌1972年にはメンバー達への予告なくモータウン・レコードはLAに移転し、メンバーは散り散りになってしまう。
この映画ではそんな世の中には知られていないが、大量生産されたヒット曲を支えていたミュージシャン達にスポットが当てられている。

映像は主に当時の様子を振り返るメンバー達へのインタビューと、故人となったメンバーの遺影を伴って集ったファンク・ブラザーズの生き残りたちにとそのゲストによるライブ演奏が挟み込まれるようになっているが、ゲスト参加は、ブーツィー・コリンズ、チャカ・カーン、ミシェル・ンデゲオチェロなどが印象的だった。

力強い後半の盛り上がり

メンバーの中では、フックと名付けられた1本の指で独創的なフレーズを弾く天才ベーシストとしてジェームス・ジェマーソンのエピソードが特に多く扱われている。

酔ってスツールに座れないからと、寝ながらベースを弾いたエピソードは胡散臭いが、それほど才能に溢れていた人物だったという凄みは伝わってくる。
ジェマーソンはモータウン・レコードのLAへの移転に伴って、デトロイトを離れたが新しい環境での仕事に馴染めず、ファンクブザーズという寄りどころも失ってしまい酒に溺れてしまう。
1983年のモータウン25周年ライブでは、高額チケットを購入して観客席の側にいて、2ヶ月後には亡くなったというエピソードも悲しい。

この映画で流れるモータウンの音楽には、力強さや若さ故の未熟さなどが凝縮されていて、アメリカの旧きよき時代の記憶や、世界の変革に伴って変わらずにはいられない時流、そんな勢いのある空気が詰まっている。
後半の2曲の盛り上げ方が特に素晴らしく、「いったいこの世は、どうなっている?」と、人種差別やベトナム戦争の映像をオーバーラップして流れる「What's Going On」にはグッとくるし、そんな哀しみでさえ一緒に乗り越えよう、とポジティブに歌い上げる「Ain't No Mountain High Enough」からはみなぎるパワーを感じさせる。

遅れてきた栄光

音楽ドキュメンタリーという体裁ではあるが、ファンク・ブラザーズに対してかなり好意的に扱う前提の作品のため、過去のエピソードのすべてを鵜呑みにしづらいのと、演出的に少し感傷的過ぎるところの気になる作品ではあるが、メンバーが金銭的に恵まれず、名誉とも無縁だったのは恐らく事実。
とはいえ特典映像を見ると、生活の為にカネを稼いでいたというより、好きなことをやってカネを稼げたから楽しかったとも言っていたりもするので、自動車工場で働くよりは、遥かに恵まれていたのかもしれないが。

メンバーのベニー、ジェームス、エディ、アールなんかは、その才能に見合った知名度を得られずに亡くなってしまったのは残念だが、生き残ったメンバーはこの映画がきっかけで、ファンク・ブラザーズとしてのツアーも行っている。
それまでは黒子として演奏していた彼らが主役に躍り出たという事実はまさしく人生の大逆転で、そいういうカタルシスのある映画になっている。


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