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棒がいっぽん(感想)_豊かな感受性と幸せのあり方について

「棒がいっぽん」は。1995年7月にマガジンハウスより刊行された6つの短編をまとめた漫画で、作者は高野文子。
どれもとりとめもなくて派手さはないのだけど、確実に心に響くものがある素敵な短編集になっている。
以下、それらのなかから3作品についてのネタバレを含む感想などを。

美しき町

夕暮れ時、大浴場から帰宅するサナエは、夕日の高さや時刻を告げるサイレンの音で夫の帰宅時間を予想する。夕食の献立はスーパーで買い揃えるのでなく、いちいち八百屋や魚屋に寄ったりと面倒ではあるものの時間の流れは現代よりもゆったりと流れる。

夫のノブオとは見合い結婚で、風呂なしの四畳半と六畳2部屋のアパートに住まう。昭和の時代に質素な生活をする若い夫婦を描いた物語となり、1987年初出とあるので、バブルに浮かれた時代にしては珍しく懐古的な漫画だったのではと思われる。

夫婦は人混みが苦手で、日曜日には自宅から歩いていけるお社のある高い丘から、自分たちの住む町並みを眺めながら持参したお弁当を食べるという過ごし方。行き帰りには敢えて小川を渡ったり崖のようなところを降りてみたりするのは、お手軽に非日常を楽しんでかのよう。

夫婦は部屋を労働組合の集会に貸し出すことになって、サナエはカーテンで個室をつくって家計簿をつけるのかと思いきや、いたずら書きをしたりと、熱を帯びてきた集会が気になってしまう。

ある日、上の階の夫婦喧嘩によって落ちてきた下着を届けるよう促す隣人。しかしサナエとノブオは他人の不幸をあざ笑うような性格ではないから、どうすることも出来ない。だから下着をとりあえずテレビの下に置いて見えないようにした。
すると隣人から言う通りにしなかったことへの嫌がらせをされ、徹夜でガリ版刷りすることになるのだが、三十年後にこの出来事を思い出したりするのかと、夫婦それぞれが口に出さないが同じことを考えているところで物語は終わる。

現代よりも近所との距離感が近くてプライバシーを保てる範囲が狭いアパートで、ささやかな暮らしをする心の優しい夫婦の、ある意味とても平坦な物語。何とも言えない切ない気持ちと心があたたかくなるのと同時に、懐かしさや羨ましさも感じるのはなぜか。

少し横道に逸れる。
私が社会人なった頃はバブル経済後のことだが、ほとんど仕事をしないしスキルも無いのに、なぜか高給取りのおじさんを多く見た。
それは男は男というだけで、さらに年功序列で長く勤めるとある程度は給料が自動的に上がっていたからと思われる。
つまり、経済が右肩上がりで男女の賃金格差が激しい昭和の時代には、ひとつの会社で勤め上げれば、男というだけでそれなりの給料を稼ぐことが出来た。

いずれせよ人口増加のおかげで経済も右肩上がりに増えていった時代ならではの話しで、こういうことを書くと「また昔のように戻せ」と言う方がいたりするから誤解の無いように念押ししておくが、日本経済が右肩上がりだったのは、人口ピラミッドのバランスが良かったことが大きかった。だから様々なルールや制度を巻き戻しても日本が昔のようになることは無い。

昭和の頃は現代よりもジェンダーギャップが激しくて、女というだけで窮屈なことの多い時代だろうから、無条件に昔を羨ましがるということでは無い。しかし、この『美しき町』を読み返していると男が優遇されていたそういう時代にも、それなりに良いこともあったろうなとも思うのだ。

男が稼いできて女は家事育児をする。そのように男女の役割が分かれていることに疑問を持たずにやれる人や、そうしたい人も一定数はいるだろうなとも思うし、そのような両親のもとで幸せな家庭で育ったのなら、なおさらそう考えるかもしれない。
そもそも長く勤めればある程度所得が増えることが約束されているから、夫婦のうち片方だけが稼いでいれば生活が成り立つということからして羨ましい。
現代では、頑張って長く勤めたからといって必ず給料が増えることは無いし、むしろ副業や投資をしないと老後は心配というのが常識になりつつある。
労働人口は減り続けるため日本政府は共働きを推奨しており、若者の低賃金も相まって、物価の高い首都圏などに住まおうものなら、夫婦の片方だけが働いて成立する生活は夢のようになりつつあって、この作品にはそういうところに懐かしさや羨ましさを感じるのかもしれない。

ただこれは現代にも通じることだが、サナエやノブオのように多くのことを望まずに、ささやかなことに幸せを見出せる人と一緒に暮らせたならば、それなりに幸せなのだろうなとも思うのだ。
自分の幸福度合いを他人と比較したりせず、自分たちなりの価値観で生きていけたら素敵なことだと思うし、この夫婦にはそういう美しさがある。

バスで四時に

独身女性マキコが、地方のローカルなバスに乗って婚約者の実家へ一人で訪れるというだけの話し。
このマキコがとてもで気弱な性格で、想像力が豊かだから口には出さないけども様々なことを考えている。

洋服のファスナーが首の後ろに当たって痛い、お土産のシュークリームをどう分けるかなどは誰でも考えそうだけど、バスの椅子をとめている大きなネジをまわすのや、前の席の人の服の柄をレンガに見立てたりと発想がユニーク。

1本早いバスに乗って、到着した時の挨拶まで頭の中でシミュレーションするほど心配性なのに、慌ててひとつ前のバス停で降りてしまったのは、緊張しすぎてあくびが出てしまったり、ふと幼いときのことを思い出していたから。

そもそもたった一人で、たいして親しくもない他人の家を訪問するのは緊張するし、結婚前とはいえやっぱり嫁姑問題は怖い。他人からしたら「そんなことで!」と一蹴されそうなことを延々と気にしているようにも思えるが、当時者からしたら一大事だ。

人は大人になる過程で、口に出すことが憚られるというか、他人には理解されないような他愛の無いことを、我慢したりむしろ他人にバレないように過ごすようになる。
そういう自由な発想や心配ごとなどが丁寧に描かれていて、作者の感受性の豊かさに共感をおぼえる。

そうして他人からしたら些細な心配ごとというのは、意外と誰かに相談に乗ってもらったり背中を押してもらうとあっさり解決したりもするのもまた事実。

マキコは徐々に目的地へ近づくにつれて憂鬱な気持ちが増して、何とかして先方へ行かずに済む言い訳を考えていたのだが、不意打ちのようにばったりと婚約者に出会った際のマキコさんの驚きとわずかな安心を感じられる表情にほっこりする。

奥村さんのお茄子

1993年、町の電気屋を営む奥村フミオが昼食に親子丼を食べていると、唐突に後ろに座っていたスーパーの店員の格好をした女、遠久田(とおくだ)から、1968年6月6日の昼食に何を食べたのかを訊かれる。

遠久田は人間の女性のかたちをしているが「とっても遠くから来た」という生物らしく、食器棚のお茶碗を割れたのを、先輩が割ったと疑いをかけられているため疑いを晴らしに来たという。

遠久田が言うに、先輩はお茶碗を割った日に奥村フミオが食事をしているテーブルで”醤油さし”として存在しており、無実を晴らすためには奥村フミオが25年前の昼食に何を食べたのかが必要とのこと。

どこへ落ち着くのかが全く予想のつかない出だしのSFだけど、25年前の6月6日に食べた茄子をピンポイントで思い出すだけというのがなんともスケールが小さいが、テンポ良く進むから話しに引き込まれる。

過去の映像を再現するのにうどんをつかったり、靴まで一体成型されたという遠久田の雑な造形や、似たようなコマが続いたり徐々にカメラが寄っていくようなコマ割りもユニーク。

当時食べた茄子の味まで覚えていないという奥村フミオに対して遠久田は、現在が過去からの続きだということを印象づける。

楽しくてうれしくてごはんなんか
いらないよって時も
悲しくてせつなくて
なんにも食べたくないよって時も
どっちも六月六日の続きなんですものね

さらに、茄子を食べている3秒間の周囲の人々の行動を再現するあたりで、どうやら先輩の無実を晴らすことを通して、この作品が伝えたかった作品のテーマのようなものがようやく見えてくる気がする。

遠久田が見せてくれた25年前の映像には、検定試験を受けていた頃の若かりし奥村フミオの姿や、大阪万博を待ちわびる食堂のまかないの夫婦の姿があってなんだか微笑ましい。大阪万博などは過去を振り返る情報でしか知らず自分では体験したことの無い風景であるのに、妙に懐かしさを感じさせる。

再現されたわずか3秒の時間では、バイクをくれた下田さんが軽トラを運転しており、郵便屋の千葉さんがポストへ手紙を回収に向かっていて、駅前クラブ「パパ」勤務のユキさんはラブレターを送るところで、「すてき明日届くわ」と思っていたりする。
このように、奥村フミオが昼食を食べている同じ時間帯に存在していた人たちの行動や感情まで想像することで、今現在ここに辿り着いたのは、たくさんの人々による過去の一瞬を積み重ねた結果であることを感じさせる。

つまり1966年6月6日の昼頃という、なんら特別なことの無い一日の3秒間を切り取っただけの情報に、様々な人々の営みや感情と合わせて映し出すことで膨大な時間の流れというか、人の一生を感じさせるスケール感が生まれている。
そうしてその対比というか、きっかけが茄子漬けという地味なアイテムを選択したのもなんともいえない、とぼけた魅力を感じさせるのだ。


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